夢を叶えるまでに私がしてきたこと
私は20歳の時に作曲家になりたいと思いました。
もともとエレクトーンの講師になりたくてヤマハ音楽院に入ったのですが、ギターやドラムや様々な楽器の人達と関わっていくことで、自分の世界が広がり、また演奏より作曲の方が自分に向いていると気付き、作曲家になることを決めました。
とはいえ、作曲家ってどうやったらなれるの?
学校の先生に聞いても、いまいち答えのようなものは得られず、親もきっと途方に暮れていました。
でも、どうしても作曲家になりたい気持ちだけは強く、
私はバイト代をDTM教室に投資しながら、作曲の勉強を始めました。
エレクトーン講師と塾の事務のバイトをしながら、年頃なのに服も買わず友達とも遊ばずカフェへも行きませんでした。
ひたすら作曲の勉強をして2年間。
21歳の時に、初めてゲーム音楽の仕事をしました。
ネットでゲームを作っている人と知り合い、曲を作らせてもらったのがきっかけです。
初めてお金をもらって曲を作れたことに感動したし、ずっと応援してくれている両親も喜んでくれました。
ですが、22歳の時に転機が訪れます。
父が、悪性リンパ腫という病気になりました。
それを境に私の人生は暗転しました。
1年の闘病生活の後に、私が23歳の時父は他界するのですが、そのあと私はうつ病になり、作曲どころではなくなってしまいました。
作曲家になるより、まずは何か仕事をしなくてはならないのでは?と思い、様々な仕事をしましたが、どこへ行っても仕事がつとまりませんでした。
アパレル販売員をしていた時なんて、店長さんに「どいてくれる?気持ち悪いんで」なんて言われたりして、軽くいじめられていました。笑
書きたくない失敗ばかりが、私の人生に積み上げられます。
そこで4年ほど経ったでしょうか。
死にたいと思う日々。
半年間一度も笑わなかったことすらあります。
そんなどん底から脱出できたのは、大手百貨店のCM音楽の仕事をさせてもらったところからです。
みんなにびっくりされました。
こんな仕事をしてすごいね、と、様々な方に褒めてもらえました。
すごく報われた気がしました。
心の底から嬉しかった。
そしてその仕事をした数ヶ月後、今度はテレビアニメのBGMを書く仕事が決まります。
この仕事は、一挙に4作品。全部で100曲ほどは書きました。
この仕事をしたのは28歳。
「夢を叶えたい!」と思った20歳の時から、8年もかかりました。
でも、私は本当に夢を叶えたのです。
テレビにもちゃんと、私の名前が載りました。
天国の父も、きっと喜んで笑ってくれていると思います。
その後も、色々なことに挑戦しました。
「こうなりたい、叶えたい!」と思ったとことは、高確率で叶っていきます。
美容ライターという仕事に興味を持った時も、ブログ経由で美容メディアさんから依頼があり、お仕事をさせていただいたり、
小さいサイズですが本を出版したりもしました。
結婚したことも、私の人生においてとても大きなことで、たくさんの幸せを夫からいただきました。今は別々の道を歩んでいますが、私が幸せに生きる土台を作れたのは彼のおかげだと思っています。そして娘にも恵まれました。こんなに可愛くて
誰より私を理解してくれる娘の存在には感謝しかありません。
本当に波瀾万丈でしたが、私は自分の人生と自分自身が好きだと自信を持って言えるようになりました。
今でも、できないことはたくさんです。基本的にできないことが多い自分のことも、認めてあげられるようになったかなと思います。
今の私の夢は、40歳までに全国展開の映画音楽の曲やTVドラマの音楽制作など、また一つステージが上がった仕事をすることです。
改めて夢が叶った記事を書きたいと思ったのは、
「私はちゃんと夢を叶えてきたじゃん!」と、ハッとしたからです。
まだまだ作曲家として、スキルも実績も足りない、なんて思っていたら
もったいないなと思いました。
私はすでに、夢を叶えてきている。
そう思った方が、次の夢も叶いやすいし、
何度も書いて申し訳ないのですが、私は実際に夢を叶えているんですよね。
そこをちゃんと感じないと、
いつまで経っても「次の夢、次の夢」となってしまうと思いました。
私は夢はもう叶えている。
だってちゃんと作曲家になったのだから。
その前提で、これからさらに新しい夢を目指していきたいなと思いました!
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