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同居で苛立つこと三選(コミュニケーション)


言葉は人を傷つける

母は思ったことをそのまま口にする。
そして必要なことは伝えられない人。

無神経だなと思う一例としては、外食が挙げられる。
ーーこれあまり美味しくないわね
ーーこういうの好きじゃない

そういうことを平気で言う。
一緒にいる人がどんな気持ちになるか考えたことはあるのだろうか。
それとも一緒にいるのが血縁だから許されると思ってるのだろうか。

次女を妊娠中に疾患があると分かったときは
ーーそれで大丈夫なの?産むの?
おいおい、仮にも親なら“大丈夫よ。あなたが産むと決めたなら応援するわ”ぐらい言えないのか、と思ったものだ。


価値観が固定化して、同じ話を繰り返す

不思議に思うが、本人がこうだと思ったらそれが正義になる。
もう変化を受け入れられない。
夫は昼寝が好きだが毎日昼寝しているわけではない。
それでも毎日寝ているかのような感覚になるらしい。

歳をとれば、話すネタがないのかもしれない。
それならただ人の話に耳を傾けたらどうか。
それなら少しは人の役に立てる。


褒めない

つまりその人の長所ではなく欠点に目がいく人なのだ。
孫にも「注意はいいから褒めて!」と注意されている笑
私も幼少期から褒められた記憶がない。
今更褒めてほしいというつもりもないが、一緒にいたいと思う人というのはきちんと相手を承認できる人なのだと思う。
おばあちゃんになったら少しは「すごいわね〜」とだけでも言えばいいのに。
まだ可愛げがあるというものだ。


私はこうして心を閉ざす

現時点では必要な会話だけを私も努力して保っている。
でも雑談はしない。
意見も求めない。


幸せであるということは、条件ではないということが、お恥ずかしながらこの歳になってようやくわかりはじめた。お金があるから、大きな家に住んでいるから、肩書きがあるから、ではなくて、気持ちを分かり合えることとか優しいやり取りができるとかそういうこと。
豪華な食事をすることではなくて、おいしいねと言いあえるということ。
“何が”ではなく“どのように”が大事なんだと思う。


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