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インナーチャイルド療法 その後

インナーチャイルドに会って、その当時の母と対峙したという退行療法の後、私が感じていること。変わらず母のことは嫌いだし、早く離れたいと思っている気持ちに変化はない。ただ、この人はやっぱりそういう人で、私の人生に必要な登場人物であったということを受け入れられている感じがする。恐らくこの母の元に生まれていなかったら、悩むことも苦しむこともなかったのかもしれないけれど、私が母としてどのように生きるか、自分自身はどう在りたいかという問いの元に生きることはなかったかもしれない。

自問自答すること、それは私にとっては生涯のワークであり、趣味であり、生き方なのだと思う。私という人間を作り上げるのに必要だったのが、毒親である両親だったのだと思える。

毒親を別の言葉で表現するとしたら

残念な人、一言で自分の親を表現するならこういうだろう。
巷で話題になる虐待を受けたわけではないけれど、この世の中にはそういう“残念な親”が数えきれないぐらい存在しているのだろう。残念な親だって、生殖することはできて子どもを作ることはできるから。精神的に未熟だろうが、親になる覚悟も知恵もなかったとしても子どもを持つことはできる。そうして困難な状況から生まれ落ちる子どもがいる。それは貧困の連鎖に酷似しているのかもしれない。そこから抜け出る知恵がなくその環境を当たり前のように受け入れてしまった子供はまたそれを繰り返すしかないからだ。

呪いに気づく

自分はその負の連鎖から抜け出る!
そういう覚悟と自覚を持った人が自分の幸せというか安心安全の場をこの世でもがきながらも作り上げていくのだと思う。
同じように頑張っている人、葛藤している人、それは年齢に関係ないこと。苦しむ人は老人になっても苦しむから。それぐらい親の呪いは絶大だから。

今これを読んでいる方が何歳であっても、その呪いを自覚できたらきっと幸せになることができると思う。遅いということはないから。

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