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観光記ーパリ編②ー

1週間ぶりのパリ


 マドリードからパリへ。パリではCDGに到着。流石にリオデジャネイロに比べると、インフラのレベルや公共機関の充実さを体感します。またマドリードやバルセロナに比べても、何か時間が早く進んでいるというか、ラテン系特有のゆったりさは感じられません。
 言語化するのは難しいのですが、気候や文化の違いがもたらす空気感の違いをなんとなく感じていました。1週間スペインや南米にいるだけで、こうも感覚が異なるのかと驚いた記憶があります。

 パリには15時過ぎに到着し、一度友人の寮に戻り荷物を整理し、シャワーを浴びます。バックパック1つでマラカナンやファベーラを歩き回り、長時間のフライトを経ていたのですが、不思議と疲労感は全く感じませんでした。アドレナリンです。
 余談ですが、リオデジャネイロの最終日はなんと33kmも歩いていました。カーニバルの移動も含めてですが、1日単位という観点では今後も含めてこの記録を抜くことはないでしょう。2位はローマを旅していた日で、28km。圧巻ですね。

人生初の海外サッカー観戦

 パリ最後の夜は、パリ・サンジェルマンの試合観戦。アーセナルの試合開催日にエミレーツスタジアムを訪れたり、マラカナンに行ったりはしましたが、海外でサッカーの試合を観たことはありませんでした。
 パリ・サンジェルマンのホームスタジアム、パルク・デ・フランスで21時よりキクオフ。相手はワインで有名なボルドーを本拠地とするFCジロンダン・ボルドー。ボルドーは元フランス代表のジダン選手が若き頃に所属していたチームでもあります。
 私が観戦した際は、元アーセナルのコシェルニー選手や、元ガンバ大阪のファンウィジョ選手が所属し、2人ともこの日の試合にスタメンで出場しました。
 地下鉄で移動し、ケバブやさんでケバブを買ってスタジアムに向かいます。スタジアムに隣接しているオフィシャルショップで、記念にジャージを購入しました。

PSGはグッズが大体オシャレです。

パリ・サンジェルマンのユニフォームやジャージは世界でも最も洗礼されたデザインだと思います。チームカラーもエレガントですし、選手層も世界有数です。

私たちが観戦した席

  試合は4-3という壮絶な打ち合いを制したパリ・サンジェルマンが勝利。ウルグアイ代表のカバーニ選手がクラブ通算200ゴールを記録し、チアゴシウバ選手が負傷交代、ネイマール選手が退場、ファンウィジョ選手が得点したりと見応え満載すぎる試合でした。
 流石に0-0とかでは残念だなと感じていたので、乱打戦になり本当に楽しかったです。勿論エムバペ選手や、マルキーニョス選手も見ることが出来ました。
 私の記憶ではスタジアムグルメなどが盛況している印象はありませんでした。時間も遅く、混雑もするので、日本と違ってスタジアム及び、スタジアム周辺の雰囲気も緊張感があった記憶があります。

一緒に観戦した友人と

 友人はパリに留学していて、チケットの手配からパリ旅行の一連をアテンドしてくださいました。本当にありがとう!

かつてPSGに所属したイブラヒモビッチ選手


地下鉄の駅にて。スター選手揃いです!

 試合観戦をし0時頃友人の自宅に戻り、パリ最後の夜が終了。最後の夜にふさわしい素晴らしい夜でした。今のところ人生最初で最後の海外でのサッカー観戦になっています。
 余談ですが、今回色々とアテンドしてくれた友人とは大学の同じ学部の縁で、4年の前学期に同じ授業を履修していた時に「パリに行くねー」なんて話していたら、本当に来ちゃいました。
 彼のパリで現地の友人と話す機会も作ってくれたり、パリの主要な観光地は一通り案内して貰いました。本当に素晴らしい旅でした。ありがとう。

東京へ

 翌日は16時の便でCDGから東京へと向かいます。流石に疲労感もあった為、午前中を使って観光することもなく、ゆったりと荷造りをして空港へ。
 正直、この日の空港到着から搭乗までは全く記憶がありません。大体どんな搭乗ゲートか位は覚えているものなのですが、不思議と記憶が皆無です。
 こういった時の記憶がある時とない時の違いは何がもたらすのでしょうか。気持ちの昂揚度合いだったりでしょうか。多分結論は、いかに心で感じているかなのでしょう。帰国するので、テンションも低かったはずです。
 機内では真ん中の席に座ってしまったのは記憶があります。隣のフランス人のおじさんに、最初に座る際に「Excusez-moi」とフランス語で席を立ってもらって以降、日本への入国際の税関の書類を書く際に色々とフランス語で尋ねられたり、食べないからと、機内食を頂いたりしたのは良い思い出です。
 到着は羽田空港。羽田に到着したのも全く記憶がありません。コロナウイルスが流行し始めていたとはいえ、その後まさかあれだけ流行するとは思っていなかったので、次の旅行を考えていたくらいでした。

全ての旅が終了

 コロナが流行していたとはいえ、最後にもう1カ国どこかに行こうかと思っていたのですが、結果的にはこの度をもって当面海外には行けなくなってしまうことになります。
 リオデジャネイロに行ったことで、一旦やりきった感もあった為、悔いはありません。この半年間でだいぶ詰め込みましたが、一瞬一瞬が本当に楽しく、最高に刺激的でした。振り返ってみても全ての国での全ての出会いが、日本では経験できないような素晴らしいもので、一連の経験は今日の自分を形成する、大きな要素となっています。
 私は中学校から大学まで付属校で進学しました。小学校も含めて本当に楽しい日々を送る事が出来ました。それでも、自身の略歴上どうしても自身とバックグラウンドが大きく異なる方と接する機会だったり、海外の方と接する機会が少なかったので、色々な国に行って文化の違いや考え方の違い、テンションが異なる方々と接する時間は本当に幸せでした。
 留学のように長い時間滞在したわけではないので、断言することは出来ませんが、正直自身の性格や考え方、日々生活するテンションといったパーソナリティは日本よりも多くの諸外国で過ごす方が向いているのかなと思ったりもしました。感情の表現の仕方が多彩ですし、自身の意見も積極的に主張しあう。日本人が優れているいい意味での空気を読む力や、周りに同調するスタイルも大切だとは思いますが、将来的には海外で活躍出来る大人になりたいと思いました。

観光記を執筆してみて

 一応、観光記としてのnote執筆はパリが現時点では最後となります。今後もどこかを訪れれば執筆するつもりではあります。タイトルの付け方や文章の構成の仕方、そもそものコンテンツの内容など改善すべき点はたくさんありますが、もし読んでくださっている方がいらっしゃれば、とても嬉しいです。
 一連の旅を振り返ると、食事に関する執筆が少なかったり、テンションで執筆量が大きく異なったりと、醜いものではありますが、何かご意見や次回訪問時へのアドバイスも頂ければ幸いでございます。
 インターネット社会の現代では、思わぬ方が見てくださったりもしたので、びっくりしましたが、学生時代というもう2度と味わうことの出来ない青春時代に貴重な経験が出来たことに本当に感謝しています。
 私のみならず、現地でアテンドしてくれた方々や、一緒に街を訪問してくれた友人、丁寧にアドバイスをくださった方々など、全ての関係者の方々に改めて心より御礼申し上げます。
 次回海外を旅する機会にはより読んでくださる方にとって有益かつ、貴重な情報をお届けるように、今回の一連の旅で浮き彫りになった課題をクリアにしていきたいと思います。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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