おばあちゃんの描いた絵
株式会社石黒金属製作所の北山です。東大阪市で製缶、鈑金、溶接業をしています。
あっという間に年が明けて、2024年の1月も下旬になりました。今年最初の記事です。
会社に僕のおばあちゃんが描いた絵を飾ることにしました。
この絵は、おばあちゃんが俳画を習っていたときに苦労して描いたものです。小さい頃の僕は、おばあちゃんがその絵を練習していたことを覚えています。
俳画のことは詳しくありませんが、調べたら、日本画の一種で、俳味がある洒脱な略筆の淡彩または墨画で、俳句、俳文の賛があるものが多いと書いてありました。
俳味というのが肝みたいですね、イケてるだけじゃなくて、ユーモアみたいなものも含まれてる気がします。
筆でシュッと描いていくので、失敗したら終わりの一発勝負みたいなヒリヒリした感じがあります。
七福神の顔それぞれに、個性があり、みんな表情が違います。この絵は俳画の先生のお手本があって、おばあちゃんがそれを見て、何枚も描いていました。
母方のおばあちゃんなので、普段は一緒に住んでいないので、夏休みや冬休みに泊まりに行った時に、おばあちゃんが描いてるのを見たのだろうと思います。
おばあちゃんは、昨年亡くなりました。100歳でした。80歳後半くらいから痴呆が出てきて、介護付きの老人ホームに入っていました。
老人ホームに会いに行くとこの絵が飾ってあって、何枚も描いて成功した1枚で、七福神がみんな良い顔していて良い絵だなぁと思っていました。
素人が趣味で絵を描くことの良さがすごく現れているもので、自分が楽しい、誰かに評価をされるためにしている訳ではない、そんな感じが出ていて、純粋なアートという気がします。
俳画の先生が描いた絵を模写しているのですが、七福神さんの顔におばあちゃんの性格が出ている気がしました。
おばあちゃんは昔は服屋さんの商売をしていて、ニコニコして、お客さんに気持ちよく売るのが上手でした。
大阪市内にまだ市場のある時代で、その市場の一角で婦人服や男性の肌着を売っていました。今の時代からは考えられないくらいに服もよく売れて繁盛していました。
歳がいって、商売辞めようかなという時に、良いタイミングでお店を在庫ごと譲って欲しいという人があらわれて、お店を手放しました。その少し後くらいに景気が悪くなって、市場が廃れて、服屋さんもなくなり、市場もなくなって、スーパーに変わったのを覚えています。
僕も幼稚園や小学生の頃は夏休みや冬休みに、そのお店についていって、市場の中の果物屋さんや、魚屋さん、お肉屋さん、おもちゃ屋さん、色んな人に可愛がってもらった記憶があります。
今にして思うと、おばあちゃんが周りのお商売している人達と、円滑な関係性を持っていたからこそ、僕も可愛がってもらえたんだろうなと気づきました。
そんな事を絵を見ていて思い出しました。僕の顔は忘れていても、根の性格が気遣いのできる人だったのか、老人ホームの介護士さん達にいつも感謝してありがとうありがとうと言ってました。
おばあちゃんが亡くなって、老人ホームの荷物を片付ける時に、飾れていたこの絵も処分することになっていました。親戚も孫も誰もいらないと言って、捨てられるところでした。
なんとなくユーモラスな絵だし、朗らかな気持ちになれるし、商売繁盛していたおばあちゃんの描いた絵は、福も運んでくれそうだなと思い、貰って会社に飾ることにしました。
会社の入り口のところに飾って、毎日みんなの目に入るようにしました。会社のみんなにも経緯を話して、福があると良いなぁと、みんなでスケベ根性丸出しな顔をしました。
おばあちゃんが亡くなって、お葬式の帰り道、車で走っている時に、子供達におばあちゃんてどんな人だった?と聞かれました。
色々エピソードを思い出して話していると、おじいちゃんとおばあちゃんに旅行に連れて行ってもらった時のことを思い出しました。
小学生の僕と、僕の姉、従姉妹のお姉ちゃん2人、僕と同い年の従兄弟、おじいちゃんおばあちゃんの7人で旅館にいきました。
旅館について、夜になりました。従姉妹のお姉ちゃんの1人がトイレに行ったら、和式の便器からうんこが床にはみ出している。と大声で叫びました。
みんなトイレに駆けつけてみると、確かに便器の真ん中にターゲットを絞りきれなかったうんこが、便器の脇にはみ出しています。しかも結構大胆な感じではみ出し、量も結構あります。
そこから犯人探しが始まり、和式の便器からうんこをはみ出す様なミスをするのは、年齢的に1番下の小学生の僕か同い年の従兄弟のどちらかということになりました。
しかし、同い年の従兄弟は旅館についてからうんこしていないと必死で訴え、容疑を免れました。
僕は旅館についてからうんこしていたので、消去法で僕が犯人になりました。僕は必死で僕じゃない、お尻はちゃんと便器に向けてる!とか訴えかけましたが、従姉妹のお姉ちゃんは年齢も5つくらい上で、口も達者で、圧も強くて屈してしまいました。おばあちゃんもお姉ちゃん達と一緒に、僕を責めていた気がします。
僕は必死の反論も虚しく終わり、悔しくて悲しくて、はやく家に帰りたいと思いながら寝ました。
翌朝、冷静になったみんなが、案外うんこ大きかったな、小学生があんなうんこするか?と再考し始めて、もう一度トイレに行った人の順番を時系列に並べて整理しました。すると、うんこをはみ出させたのはおばあちゃんだったということが判明し、おばあちゃんもそういえば私だな!とあっさり認めました。
濡れ衣を着せられ、一晩中辛い思いをした僕は、なんだったんだろうか、、、と幼心に思いました。おばあちゃんも一緒になって僕だって言ってた気がするし、、大人ってこわいな。
そんな事を思い出して、お葬式の帰る道中、子供達に話していたら、子供達はゲラゲラ笑っていました。
子供達は、おばあちゃんが痴呆になってからの姿しかしらないし、コロナの期間は会えなかったので、お葬式の後、そんな話しをしたもので「うんこはみ出しおばあちゃん」という印象がついてしまい、おばあちゃんに申し訳ないことをしたと思いました。
そういえば毘沙門天さんは、気張ってるみたいな顔にも見えなくもないです。
この絵はおばあちゃんの多面性を表しているかもしれません。この絵があればおばあちゃんが亡くなって寂しいけど、近くにいてくれる様な気もして元気が出ます。
今年も良い年になれば良いです。
ではまた。
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