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さよなら、わたしのお姫様(6)

2023年10月13日、愛猫を亡くした。
16年間、一緒に生きて生活した家族だった。

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2023年10月2日

輸液の再処方のために、病院へ。
毎回診察する必要はないと言われていたが、この数日の間に食欲が急に落ちてしまい、あまり食べなくなってしまったので、結局、診察室へ。

先生が首元の皮膚をつまんで脱水具合を見てくださったが「ものすごい脱水状態」だという。点滴で、足りない水分を補い切れなくなってしまったのだ。彼女の体重に対する量としてはずいぶん多いが、一回分の輸液量を165mlほどに増やすことになった。

継続して点滴をしていても強い脱水状態に陥ってしまう。
「残念ながら、症状が一段階悪く進んでしまった」と、
先生からご説明いただいた。

2023年10月6日

輸液の再処方のために、病院へ。
さらに、予定していた2回目の造血剤注射をしてもらう。

1回目の造血剤の注射は効果があったようで
「少し舌の色が良くなったような気がしますね」と言っていただく。

ただ、この頃になると、もう彼女の後ろ脚はほぼ動かなくなっていた。
それでも這って自力でトイレに行こうとする。だけど、後ろ脚を引きずった状態でトイレの入り口の段差を越えるのは大仕事だ。いつも、トイレに全身が入る前に力尽きて、トイレの外側にしてしまう…という感じだった。

もう、オムツを使って、穏やかに寝てゆっくり過ごしてもらう方がいいんじゃないかと思ったが、オムツを使ったところで、彼女は這ってトイレに行くだろうとも思った。このころ、SNSで猫の介護を経験された方に呼びかけてみると、オムツの使用についていろんなお話を聞かせていただくことができた。心強くてありがたかった。

トイレの外側にもペットシーツを敷き詰めていたので、トイレを失敗されたところで、人間のほうは何ら困ることはない。彼女が自分で行きたがるのを尊重したくて、結局、敢えてそのままにしていた。

身体はだんだん動かなくなり、食べられなくなり、どんなにかしんどかっただろうなと思うけど、でも、それでも彼女は平静にご機嫌で過ごしていた。
あまりにも強くて健気で、相変わらずかわいくて美しく、そうやって生きる彼女の姿が、それ自体、なんだかひとつの奇跡みたいに思われた。

10月5日
まだ、這って自分でトイレに行きたがった。

2023年10月8日

めったに声を上げて鳴かない猫だったのに、週末、たくさん鳴いて私を呼んだ。まだまだ気力が充実していて、はっきりと自己主張した。

もう、トイレに行くのに起き上がることもできなくなった。彼女のお尻の下に使い捨てのペットシーツを一枚ひいて、さらに布製の大きいしっかりした防水シーツを買って、ソファの上に敷きつめて、ほとんど一日中、彼女の隣に座って過ごした。私のお腹に上がりたいと鳴いて訴えるので、ずっと彼女の頭か、または身体全体を抱っこして過ごした。ひどく痩せて軽くて、長時間お腹に乗せていてもちっともつらくなかった。

彼女が寝たままその場でトイレするので、かえって片づけは楽になった。トイレのあと、温かいタオルで下半身を毎回拭いた。

私の娘は思春期で、いつもは自分の部屋にすぐ引っ込んでしまうのに、その週末はずっとリビングに居た。娘と私と白猫氏、ずっとリビングのソファから動かずに、ゲームして、本を読んで、いっしょにご飯を食べた。

半身を支えて起こしてやり、口元に温かいお水を持って行くとたくさん飲んだ。茹でたささみを、ほんのひとかけらだけどしっかり食べた。

この頃、夜になると呼吸が苦しそうだった。
毎日、夜に点滴をしていたが、夕方以降になると前日の点滴で補充した水分を使い切ってしまうのか、調子が悪くなる。苦しそうな彼女のそばで、ずっと身体に触って撫でて声をかけた。何もできることはない。

ところが翌朝になると、点滴が効くのかケロッとして「シーツ濡れちゃったから替えてくださーい、あったかいお水持ってきてくださーい」と鳴いて私を起こす。たくさんお喋りする朝の彼女はかわいかった。

10月9日。
両側を猫に挟まれながら昼寝した。
幸せだった。

2023年10月10日

最期の通院日になった。

先生がキャリーから抱きあげて診察台に移してくださった。今までずっと、彼女は先生に体を触らせなかったから、ほとんど初めてのことだった。
「白猫ちゃん、僕のこと大嫌いだと思いますけど」と笑っておられた。そうだろうか。私にはわからないけど、そうでもなかったんじゃないかなと思っている。私自身は、ずっと信じて頼りにしてきた先生だった。

10月以降、私はお別れが近づいていることを感じていたけど、
先生はここまで、それを一度も口にしなかった。
もしかしたら症状が落ち着いてまだ一緒に過ごせるかもしれない、その可能性を諦めずにずっと探ってくださっていたと思う。

だから「どう看取るか、という段階だと思います」と先生が言ってくださったのも、この時点になって初めてのことだった。
「もう、何も食べないですよね?」
「いいえ、毎日、ほんのひとかけらですけど、まだ…」
「まだ食べるのか、君は…」。先生の声に驚嘆の響きがあって、私も少し驚いた。でも、すごいでしょ。うちの猫、すっごい強いんですよ。

まだ、彼女は生きるつもりなんですよ。
だから私もそのつもりで、最期まで世話をします。

2023年10月11日
すでに寝たきりだったが、それでも目に意思の光がある

2023年10月12日

娘の学校の体育祭があって、私は昼間、出かけなければいけない。
夫に打診すると、私がいない間、留守番して猫を見ていてくれるという。
私と娘はこの1週間ほど、本当にべったり彼女と過ごしてきた。だから、この日の数時間は、夫のための機会だったんじゃないかと思う。

夜、ずっと続けてきた皮下点滴をやめた。
眠る前、彼女を抱いて寝室へ移動するとき、夫が猫ベッドを覗き込んだ。夫は彼女に「また明日」と声をかけた。

2023年10月13日

少しうとうとして目が覚めた。
まだ夜中の1時50分で、彼女を連れて寝室に入ってから、小一時間寝てしまったようだった。でも、寝入ったときに聞こえていた猫の苦しそうな呼吸の音が途絶えていた。見なくても、わたしにも、もうわかっていた。

体を触るとまだ温かかった。とても静かな最期だった。かなり最後の段階まで、彼女の意識はクリアだったと思う。最後まで、家族の声を聴いていたと思う。最後、私は何て声をかけたんだったか。よくがんばったね、偉いよ、ありがとうねって言ったと思う。たぶん彼女にも聞こえていた。

目を覚ましていたのは私一人だった。彼女の手足を折りたたんで、ベッドの上に丸く整えた。少し寒くて、もう必要ないのはわかるんだけど、彼女の身体にタオルをかけ直した。そうしないでいられなかった。

体温の残った身体を撫でながら、しばらく隣で横になって過ごした。



2023年11月13日

1か月が経って、今日が最初の月命日だ。
悔いなく介護をしたと思っている。できることはすべてしてあげたと思う。どんどん衰弱して色々なことができなくなっていくのは苦しかったろうけど、私はずっと濃密にお世話をさせてもらった。

最後の数日間は、私にとってはボーナスステージみたいだった。お世話をさせてくれてありがとう、身体を拭かせてくれて、抱かせてくれて、隣で眠って、ふかふかの毛並みを触らせてくれて、ありがとう。
全て、「させてもらった」という感覚だ。

だけど、こうして尽くして介護させてもらわなかったら、心を落ち着けてきちんとお別れができたかどうか、わからない。彼女はずっと強かったけど、私のほうは少しでもここで後悔を残したら、彼女の死から先に進めず、ぐずぐずと踏みとどまっただろう。だから、悔いなく介護ができたと思えることは、彼女のためでなく、私自身のために必要なことだった。

力尽きるという言葉にふさわしいような亡くなり方だった。体中の力を振り絞るように生きて、生きて、全てを使い果たして静かに眠りについた。

強い、美しい、気高い猫だった。凄い猫だった。堂々とした立派な生き様だった。あんな凄い猫には、もう二度と会えないんじゃないかな。

ありがとう。
さよなら、わたしのお姫様。

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