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人類史上初の、あの悲劇が…

有名な「カインとアベル」の物語です。

フジテレビのドラマでも放映されてましたね。
#山田涼介さん
#桐谷健太さん
#倉科カナさん

【創世記 4章1節~】

さて、アダムは妻エバを知った。
彼女は身ごもってカインを産み、
「わたしは主によって男子を得た」
と言った。
彼女はまたその弟アベルを産んだ。
アベルは羊を飼う者となり、
カインは土を耕す者となった。

時を経て、カインは土の実りを
主のもとに献げ物として持って来た。
アベルは羊の群れの中から
肥えた初子を持って来た。
主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
カインとその献げ物には目を留められなかった。
カインは激しく怒って顔を伏せた。

主はカインに言われた。
「どうして怒るのか。
どうして顔を伏せるのか。
もしお前が正しいのなら、
顔を上げられるはずではないか。
正しくないなら、
罪は戸口で待ち伏せており、
お前を求める。
お前はそれを支配せねばならない。」

カインが弟アベルに声をかけ、
二人が野原に着いたとき、
カインは弟アベルを襲ってコロした。

<新共同訳より>

何故、神はアベルの献げ物を大変喜び、
カインの献げ物には目もくれなかったのか、
考えさせられる箇所です。

カインの献げ物は、農作物、
アベルの献げ物は、肥えた羊の初子。

一見すると、どちらも良さそうですが、
アベルは、自分が献げることが出来る中で
最大限の物を持ってきました。

神は、アベルの信仰や愛、信頼をみて、
たいそう喜ばれたことでしょう。

対するカインは、農作物。
最大限の物ではなかったと推測されます。

それにしても、神のカインへの対応は、
ちょっと冷たいイメージがありますね。

ただ、そこには理由があります。
それは、神は『平等』ではなく
『公平』だということです。

『平等』という解釈

神が『平等』であった場合、
我々が与えられている全ては均一になります。
すなわち、容貌や体格、能力が全員同一、
当然、考え方や行動も同じことになりますので、
新たに何かを平等に与えられたとしても、
消費行動も全て同じになります。
#全人類が同じ内容をツイートする世界

こんな世界は想像できません。

個性は別 といった主張もあるでしょうが、
これでは『平等』の考え方から外れてしまいます。
個性が一切ないのが平等であり、
都合の良い部分だけ平等と考えること自体、
それは平等とは言えないですね。

『公平』という解釈

では『公平』であった場合はどうでしょう。

まず、個性があります。
今のこの世界が正にそうですね。
そして、考えること、行動することで
自分の能力は開花していきます。
これは紛れもない事実ですし、
神から与えられた能力と言えます。

あなたが積み重ねて得られるもの、
イシコが積み重ねて得られるもの、
それぞれ、当たり前に異なりますよね。
#当たり前体操

天は自ら行動しない者に
 救いの手をさしのべない

これは、シェイクスピアの言葉ですが、
与えられた能力を十分に発揮し、
努力を継続することで報われる
ということを意味します。

【結論】

最大限に努力する者には、最大限の報いがある。
コレのみです。極めて単純です。

カインがこのことに気付けていたら、
こんな結末は訪れなかっただろうなと
想像してしまいます。

他人との比較は疲れるだけです。
ヨソはヨソ、ウチはウチでいいのです。

自分に出来ることをやり、
その結果に満足しましょう。
満足が不足しているのであれば、
続けて努力すればいいだけのコトです。

どうでもいい話し

カインのスペルをググって調べたとき、
「カイン(Cain)」と「ケイン(Kain)」
2種類が結果として表示されました。

どちらも正解でいいのですが、
「ケイン」となると、イシコの場合は、
「ハリー・ケイン」しか頭に浮かびません。
#トットナム
#ハリー・ケイン
#世界最高峰FW

ただ、このハリー・ケインも、
メディアによっては、
「ハリー・ケーン」と記載されることもあります。
「ケーン」となると、今度は、
「北斗の拳」のケンシロウしか頭に浮かびません。
#北斗の拳
#ケンシロウ

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