見出し画像

9/27 この夏を身体に刻め

何かを身体に刻みたい、と思ったのは高校生の時以来だろう。

高校生の時は映画「スワロウテイル」の世界観に憧れTattooを入れたくなった。けれど一時の熱狂でもあったし、結構な反対もされ、実際に入れることはなかった。

何度も書いている通りに、この夏は私史上最強かつ急激な方向転換があった。

今まで人の運転している車の助手席に乗りながらクーラーにあたりぼんやり生きていたような私の人生は、突然、汗をかき、自力でペダルをこぎ、運転をする自力の人生になったのだった。

炎天下の石垣島を自転車で走り回り、時々転んでケガしながらなんとかこの夏を生きのびていた。

そして、あまりにも人生で初めてのことばかりだったので、久しぶりに私はこの日々を刻みたいと思ったのだった。(だってすぐ忘れちゃうから

これまで夏でも長袖を着ていた私の肌は通年なかなかな白さで「石垣島から来ました」って言っても信じてもらえないくらいだった。

けれど私は今年、長袖を脱ぎ、ノースリーブを着て、日々を過ごすことにした。

結果、私の肩は小麦色になった。顔(日焼け止めを塗っていた)が白いので、化粧をするとちぐはぐなことになって大変なくらい、肩はこんがりと焼けたのだった。

「せっかくの白いきれいな肌なのにこんなに焼いちゃって」と言われた。

私は、そんなバカな。と思ったのだ。

これはいわゆるひとつのTattooなのだよワトソンくん。

しかも、40歳にして初めて庇護を飛び出し、自分の人生を生きようとした私の決意表明でもあり、健闘の記録。

確かにね、肩や腕にシミも増えちゃったし、一般的に人はこれを汚い、とか言うだろう。その価値観も否定しない。

けれど私は、例えば農家の人の手の神々しさに憧れる。一生懸命生きて仕事をし、得た勲章である。白髪も、シミも、手荒れも、傷も、全て愛すべき美しさだ。その人がその人である証拠であり歴史なのだ。

たかだがひと夏炎天下にさらしあえて作った私の肩の日焼けなんて取るに足らないただの「記録」ではあるが私は非常に満足である。

もちろん色白であればいいという価値観も否定しない。けれど私は、生まれつき色白であるがゆえに、『色白であればいいという価値観に傷つけられた人々』に傷つけられた過去もあるのだ。

すべての「こうあるべき」から自由に。

憧れるのは勝手だけど、好きでこうなった訳じゃないのは私も同じ。我々は同じ側。その中で、自分の身体と心に様々な想いを刻み生きていこうぜ、とひっそり願う。

誰がなんと嘆こうとも、私の肩は生まれて一番、今が最強に素晴らしく美しいのだ。

この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?