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9/17 私がクリスマスを好きな理由

こんにちは。

突然ですが、私の中ではクリスマス真っ盛りです。

何を言っているのかコイツ、とお思いの皆さん。安心してください。私の狂気は今に始まったことではありません。かれこれ20年こんな感じです。

というか、私の趣味の手芸界隈では、この時期にクリスマスの生地やキットが出始めます。だから勝手に頭の中がクリスマスしちゃうっていう寸法です。

クロスステッチとかも作るのに余裕で数か月かかりますから、この時期に出ないと間に合わないのです。もっと早くからセーターを編んでる方々もいますし。

私は行事の中でクリスマスがかなり好きです。なぜかっていうと、クリスマスは愛が深くてもキモがられないから。

私は見た目が若干冷たく、一部ではドライと噂されることもあるのですが、本当はかなり、かなり愛が深い方です。

気楽な恋愛だったとしてもその深い愛がうっかり出現してしまって「重い」と言われることもしばしば。

自分でも「オレの愛なんか重くね?」ってうすうす感じているから、あんまり出さないようにしている。からの、ここぞ! というときにうっかり激重愛を出してキモがられる。私の事情なんて相手には関係ないからね。しょうがないね。

けど、別に重いのがいいって思ってるわけじゃない。だからすっごい傷つく。傷つき防止に普段から極力愛のボリュームを小さくして生きてる。

そんな私にとって、クリスマスは「激重愛OK期間」である。むしろ、愛が深ければ深いほど褒めてもらえる感じさえある。

まぁ、普段からクリスマスレベルの愛を繰り広げていると考えると、激重ぶりがわかってもらえると思う。年1回でいいんだよね。わかるわかる。

わかるけど! コントロールできるならしてるんだよー! できないから、重重の激重愛をもてあまし、見つからないよう必死に隠しながら、クールに、何ならスタイリッシュに人を愛せるふりなどしちゃっている。

全然違うのにね。

なので私にとってクリスマスは年に1回、例えば悪魔がハロウィンの仮装行列に交じって外を出歩ける、のような解放感があるのです。

しかしさ、自分の中の『普通』に適合しない部分なんて誰もが持っているわけだから、どうしても『普通』に迎合できない、うっかりキモいとか言われてしまう部分を、年1回くらいは羽を伸ばさせてあげてもいいよなぁって思うわけ。

ダイバーシティーの時代ですからね。

今日も激重愛を隠して生きる。悲しきモンスター、イシバシでした。

いや、みんな、生きてるだけで偉いよね、マジで。

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