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自分の考えはキャラクターのものにしたいという話

ちょっと将来のことで色々悩むことがあり、そちらにリソースを取られてたお陰で久しぶりの記事投稿です。
例によって碌に推敲もせずベッドに篭ってテンションが高いのか眠いのかよく分からん状態で書き殴る深夜怪文書です。

といっても記事投稿の間隔が空いたのはそれだけが理由ではありません。
というか書きたいと思うネタ自体はあったんですが、それをここで発散するのではなく、作品の中に落とし込みたいなあという気持ちがあったのが主要因です。

物語とか設定を考えるのが好きで、趣味でSSを書いたりするのはここ最近もずっと継続していたことだったんですが、自分がふと思ったこととか考えたことは割と話の本筋にしたりキャラの背景の掘り下げに使いたいなと思ってしまうんですよね。

これはまあネタの枯渇を忌避してとも受け取れそうですが、自分的には自分の考えをキャラに代弁させたくないという心理が働いているような気もします。なんか矛盾してるようですが。

「いやそのキャラ作ったの自分なんやし自分の影響受けてて当然やろ」というのもそれはそうなんですが、たぶん順序の問題なのかなと。

自分の考えを纏めるのって少なくともひとつの作品を作るよりはずっと簡単だと思うので、まずなにか考えを示したくなった場合、こうやってブログ記事とかにしてアップすると思うんですよね。

で、そのあと纏めたその考えをもとにキャラクターを作った場合、作者の息が掛かってる感がありありと見えてしまうからなのかなと。

これが先にキャラクターが世に出たあと、後書きとかで作者が振り返ったりしてた場合、両者の間に結構明確なラインが引かれてる感が出る気がします。主観ですが。

一度キャラクターを介してメッセージを発信することで柔和性を持たせている、とかそういうのを無意識のうちにやっているのかもしれませんが、どっちかというと自分の人格から切り離された存在の意思として設定することで、より深く自分自身の考えと向かい合おうとしているといった方が正しいのかもしれません。

まず最初に自分の思想を記事にする、という行為にいまいち食指が伸びづらかったのは、創作のネタ確保の意味合いの他に、ちゃんと考えを煮詰められてない生焼けの思考を提示することにちょっと抵抗感があったからなのかも。

寝ぼけ眼でこんな文章書いといてエラそーなこと言えないですけどね。もっと自由に気楽に文章書いていいはずなんだ。

でも良さげなネタ思い付いちゃったらやっぱり雑に消化するんじゃなくて、然るべき場所で披露したくなっちゃうよね。
いやあ、創作ってむず痒い。

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