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ファッションではなかった~自問自答ファッション教室~

2023年が明けてから私は体調管理に勤しんでいた。
天気予報もだいぶ先までチェックし、祈るような日々を過ごしていた。
1月に念願の、あきやあさみさんの自問自答ファッション教室に参加する予定があったからです。(遠征)

寒波到来の予報に怯えつつ、当日は晴れ!
新幹線も遅れることなく無事に参加することができました。

職業から逃げ回っていた

自分ひとりでコンセプトを考えていたときに私はいつもここで行き詰まっていました。
キーワードから修飾語は出てくるけど、最後に自分自身を表す言葉が出てこない。
前回の記事で書いた仮コンセプトは「空想の世界を旅する人」。「人」、の部分が、何かこう、もっと、他にあるじゃろ? と思いつつ、決めかねていたのです。

「空想の世界を旅する○○」、良いと思うんですが、○○に何を入れるかに人生の覚悟を問われている気がするんですわ。

ファッションとは○○である

実はもう自分では分かっていたのですが、私はもし自分が何者かを名乗るなら絶対に「小説家」が良かった。
でもそれを言うのはコンセプトの中の話としてさえ、おこがましいように感じていました。いちど現実に目指して諦めた夢だったし、今の自分は何も書いていないからです。
それで一生懸命「隠者」とか「灯台」とか言ってたのです。トレジャーハンター検索したりね……。楽しそうだけどね。

ファッション教室はワークショップ形式で進むのですが、コンセプトづくりにおいて、キーワードの発掘と、自分自身の本当の願望、現実の自分はさておいて「自分は本当は何がしたいのか?」を徹底的に問われます。
もうね、ここで私は観念(?)したのです……。

その場で生まれた私のコンセプトは「自由で本質的でアーティスティックな幻想小説家」です。
というか、自分としては
「幻想小説家」
だけでもう、その前の修飾語みっつ分まで含めて表現できている気がしています。

ファッションではなかった

さてめでたくコンセプトは決まったのですが、この時点で私の心の中には依然として疑問が残っていました。

そして自分的なこの日のハイライトはコンセプトが決まった後にあったのです。

私のメインの悩みは「人から持たれるイメージが実際の自分と乖離しているように感じること」。
noteでも何度か似たようなことを書いているのですが、照れずにはっきり言うと、「ワイはもっと面白いところもある人間やで」という謎の主張が心の中で燻っていました。
また、「どんなジャンルのお洒落の人と会うときでも堂々としていたい」、「自分で自分にOKを出したい」という希望もありました。

私は「アイデンティティ」であるはずのアクセサリーの好みが繊細で華奢なもの。主張の強い、所謂「個性的」なものではありません。
コンセプトは決まったものの、自分らしさをどこでどう表現するのかが依然として分からず、質問タイムにあきやさんにお聞きしました。
あきやさんは優しく明るくこう仰いました。

「石月さんは小説を書きましょう」

…………。
え…… 。
それって……。
それってつまり……

「つまり、ファッションの問題では、ない……?」

アウアウアー(稲中)

謎はすべて解けた

な・な・な・なるほど~~~!
なるほどなるほど。成歩堂……。
謎はすべて解けた! 真実はいつもひとつ!(混ぜるな)

私はここでようやく分かりました。
前述の私の悩みを端的に言い換えると「自己表現できていない気がすること」、さらに「自信がないこと」。
それらは結局ファッションの問題ではなかったのです。
そして私の好きな世界や個性は、今の時点でファッションからもう伝わっているとも言っていただきました。

私は、私が望む創作活動をしない限りは、どれだけ選び抜いたお洋服を、靴を鞄を、アクセサリーを身に付けたとしても、胸を張れないということです⭐️
(あくまで私の場合の話です)

ガ────ン!!
でもなんだか、そりゃそうだって感じもする!

え~~~、なんか、すみません……。
こんな悩みをぶつけられて、あきやさんは大変だ……。(すみません)

あきやさん曰く、(悩みの原因が)ファッションの人と、そうでない人と、両方いるそうです。
(……と、仰っていたはずです。ちょっと、このあたりは自分の動揺が大きくて、実際の言葉と記憶に多少違いがあるかもしれません)

私の本当の悩みはファッションではなかったのです……。
ファッション教室に参加してそれが分かりました。お前は一体なんなんだ。
しかし今まで自分の書いたnoteを振り返ってみると、うーん、多分、薄々、本当は気付いていたのでは? と思う節もあるのですよね。

また私は中学生の頃から、好きな有名人(大抵はミュージシャン)ともし会えたら、という妄想をするとき(照)、必ず自分が「画家(イラストレーター)」、もしくは「小説家」として、対等に会う、というストーリーを思い描いていました。そうじゃないと胸を張って会えない(というかそもそも会えない)と分かっていたんだと思います。
なんだか納得です。

※私の悩みの根源こそファッションではありませんでしたが、今後のファッションについての為になる情報とアドバイスはもちろん山ほど受け取りました。
コンセプトが決まり、本当の悩みが分かったら、ファッションに対してむしろポジティブな気持ちが大きくなりました。

職業ってなんだろう

ファッション教室に参加してようやく腹に落ちたのが、コンセプトにおける「職業」というのは、それで食べていけるかどうかは考えなくて良いものだということです。

この日あきやさんが話してくださったエピソードの中で、以前noteにも書かれていたことがありました。(あのお話だ! とすぐに気付くファン)

サンフランシスコで出会った人はみんな「職業」ではなく、「ライフワーク」がありました。

サンフランシスコの思い出

この「ライフワーク」がなんなのか考えてみようということだと思います。
そして、もちろん職業でなくても良い! とあきやさんは下記のnoteで仰っています。

私はコンセプトって、基本的には服選びと人生を楽しむために考えるものだと理解していて、自分が納得できることが大切だと思うのです。
なので、私が最初に考えていた「隠者」でも「灯台」でも、「○○な人」だけでも、自分が納得いくならそれで良かったのです。
私の場合は結局、この職業であるところの「幻想小説家」がコンセプトにおけるキモだったようで、これを決めたからこそ行動に繋がるイメージが出来るようになりました。

私は私の好きな世界へ出掛けよう

あきやさんのお話を伺っていて個人的に気付いたこと。
私は今の職場で気の合う人が見つからないなーと思っていたのですが、
気の合う人が見つからないのは気の合う人がいないからなのでは?
という(しょうもない)天啓を得ました。

私ね、これ、この期に及んで自分が自己表現をうまく出来ていないからなのかと思っていたんですよね……。いま思うと謎なんですが。
それすらファッションで解決できるかもと思っていた。ファッションによる自己表現って気の合う人と出会う可能性を広げ得るとは思うのですが、ちょっと、私が今いる場所では難しいのかもしれません。

というのも、楽しかったんですよ、ファッション教室。
その日初めてお会いした参加者の皆様と、あきやさん。
非常に個人的な話をする場なので、少々特殊なシチュエーションだからというのは重々承知しておりますし、ファッション教室はあきやさんが設けてくださった場なので、私はそこに参加させていただいただけの立場です。
でも、ちゃんと自分が興味を持った場所へ出掛けていけば、素敵な方々に出会えるんだなーというのをこの日実感したのでした。

そして日々はつづく

宝物のような教室の時間が終わり、向き合うのは現実の自分です。
ひとり残った現実の自分は、実際には溢れ出る富も才能も持ち合わせていません。
後は私が、この私自身がどう行動するのかにかかっています。
私は既に中高年なので、おそらく20代の自分が「なりたい」を探して思い描くのとは少し違うであろう痛みも感じています。

「お金があったら、才能があったらやりたいことって、その両方があったとしても結局やらないんじゃないの?」
「本当にやりたいことならもうやってる筈だと思うんだよね」
「今は何も書いてないのに小説家ってどういうつもり?」

否定は出来ない自分の中の雑音

今の私は10代や20代の頃にイメージしていた「将来の自分」と呼ぶべき年齢です。
今まで積み重ねた人生の結果がそろそろ出ていてもおかしくない年齢なのに、現在の自分は何も成していません。
自分の欲しいものを知ることは、それを手にしていない自分と向き合うことでもあります。

もしかしたら今後「なりたい自分」と「現実の自分」のギャップに苦しむときが来るかもしれない。というか既に少し苦しくはある。
辛くなったらコンセプト自体を変えることだってもちろんあり得ます。

でももしも今後そうなったとしても、この日に夢見た「本当になりたい自分」の姿のことを、わくわくする気持ちを、希望として忘れずに生きたいと思うのです。

念願のGUCCIツーショット

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