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心に残る7月最後の授業日にするためのアイデア

そろそろ7月最後の授業日を迎えるという学校が多いのではないでしょうか。

「子供たちは、きっと早く家に帰り、夏休みを満喫したいと思っているだろうから、どんどん下校させてやろう」と、考える先生もいらっしゃるかもしれません。

しかしその逆に、「翌日から夏休みになる最後の授業日だからこそ、少しでも子供たちの心に残る濃密な時間に近付けたい」と、思っている先生もいらっしゃるかもしれません。

私は、後者のほうでした。

そんな私と同じ考えの同僚の中には、
「だからこそ、級友たちとかかわる時間を大切にしたい」
と、言う者もいました。

でも、私はこのやり方には自信がありませんでした。

「かかわらせる」ことだけで、仲間との楽しさや、この学級で四か月間過ごせてよかったという自己存在感を、どの子にも感じ取らせることは、私にはできそうになかったからです。

きっと手の指の間からこぼれるような子供を出してしまうにちがいないと思えました。
しかし、私はそういう子供こそ、この日に大事にさせたかったのです。

そこで私は、四か月間の頑張りを自分や周りの子に<見える化>することで、達成感を感じ取ったり、互いを認め合ったりすることができるようにしたいと考えました。

7月最後の授業日に、私が具体的に行ったことを紹介します。


1 ノートの塔を積み上げる!

子供たちに、4月からの四か月間に使用した全てのノートを持ってこさせました。
そしてそれを、教室の真ん中の机に積み上げさせていったのです。

だんだんと積まれていくノートに、子供たちが注目します。

中には、他の子供の2倍以上の冊数のノートを出す子もいて、歓声が上がります。

四か月間ではありますが、全教科・領域で使用したノートですので、なかなかの高さになります。
机の上に積んでいるので、子供の身長を越すことがほとんどでした。

さらに、ワークシートのファイルも積みます。

崩れそうになるので、「それ!押さえろ!」と、何人かが手を添えます。

「先生!テストファイルも積もう」という声が出た年もありました。

高さをしっかり測り、記録して教室に掲示して残しておきました。
12月と3月にも同じように積み上げて比較することが、暗黙の了解事項になります。

積み上がったノートの塔を、きらきらした目で見ていた子供たちでした。

ただ、今はランドセルの中身を少しでも軽くしたいので、一度に全てのノートを持ってこさせることは、できないでしょう。
分散して運ばせるなど、ちょっとした工夫が必要です。

2 道徳で互いの頑張りを認め合う

最終日に、道徳の授業を実施しました。
互いの頑張りを認め合ったり、学級としての成長をふり返ったりする内容です。

その授業の終末で、友達の頑張り・成長を讃えるカードを書き、渡し合うことをさせました。

また、年によっては、四か月の間に同様の趣旨によるカードの記載を継続的行って掲示していたので、それを外して書かれた子供に配ることをしました。

自分の四か月間を振り返るとともに、級友からどのような目で見られていたのかを改めて感じる場になったと思います。

3 学級通信で一人一人の頑張り・成長を伝える

7月最終日発行の学級通信に、一人一人の頑張り・成長を全員分書き記しました。

そして、それを読み上げました。

教師の目で捉えた子供の姿が、他の子供に与える影響力は少なくありません。

だから、読み上げることまで必要だと考えていました。
ある一定の共有化が図れるものだと考えてきました。

これも、<見える化>です。

4 全員に頑張り賞状を贈る

学級通信で紹介しなかった時は、全員にミニ賞状を配りました。

「賞状やシールを用いない教育をしたい!」
とおっしゃる方もます。

私は、<目印としてのシール>を使っていましたし、<子供を認め励ます賞状>も用いていました。

「教師として、私はあなたをこのような子だと思っています」ということをきちんと示したかったからです。

もちろん、子供は評価されるために学校に来ているわけではありません。
しかし、教師―子供という厳然たる非対称の関係にありながら、「評価していないふりをする」ことは欺瞞です。
私は、意図と目的を明示して、ミニ賞状を渡したり、学級通信で称揚してきたりしてきました。

一人一人に賞状を渡す度に、教室内には大きな拍手の音が響きました。

以上が、<見える化>によって、7月授業最終日を充実させる工夫です。


ちなみに、全員に賞状を準備するのは、時間が掛かります。

前夜遅くまで筆ペンを走らせていたことが幾度もありました。

働き方改革は必要です。
しかし、一年の間には、こういう夜が幾晩かはあってもいいのだと考え、私は教師の仕事を続けてきました。