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[補論]子供が意欲的に目的意識をもって取り組むドリル学習

前回まで3回に渡って、宿題について述べてきた。
今回はその補論である

私はこの3回の投稿で、教師が指示を出した宿題か、子供が自分で決定した宿題かなどということは、形式的、表面的な宿題の捉え方でしかなく、どうしたら子供が意欲を湧かせ、自ら目的意識をもって進んで宿題に取り組むのかを考えることが重要であると述べてきた。

そして、そのために、①学校の学びと繋ぎ、連続性を意識させる宿題にすることで子供の目的意識を喚起し、②全体やグループで学んだことを宿題に繋いだり、宿題を全体やグループでの学びに繋いだりすることで「宿題の孤立化」を防ぐという方法論による、私の<宿題実践例>を紹介した。

その<宿題実践例>では、計算練習のような子供を受け身にすると思われがちな繰り返し学習においても、子供が自ら目的意識をもって進んで取り組む宿題にするための工夫も示した。

その工夫とは、「計算力を高めるために練習しよう」「苦手な問題だから繰り返して強くなろう」等の課題によって宿題を出したり、取り組んだ結果を通して得られる達成感や自己有能感によって、目的意識や面白さ補おうとしたりしたことである。
その際、子供たちに学校の学習で計算の面白さや楽しさを感じ取らせておくことも工夫の一つであった。

得意なことは好きになる。
好きなことには進んで取り組むようになる。
子供に限らず、人間はそういうものではないかと思うのである。

さて、<計算の繰り返し学習>に対して、奈須正裕氏が『子どもと創る授業 学びを見取る目、深める技』(2013,ぎょうせい,pp.143-144)の中で、次のような言及をしている。抜粋して紹介する。

・長野県伊那小では、算数におけるドリル学習の意義を子どもたちに理解させる授業を行っている。クラスで牛を飼うことになり、そのエサ代の計算をすることで、子どもたちは、計算することのよさを実感させるのである。それにより、ドリルにも進んで取り組むようになるという。
・一般的にドリル学習の目的を子どもに不分明のままで実施することが多い。ドリルの成果を自らが求める暮らしや学びに生かす筋道が十分に見通せていないのに強要してしまうことが問題なのである。
・諏訪の高島小のカリキュラムには、「ドリル単元」という領域があり、子どもが自らの学びと暮らしを自己更新する必然的な筋道の中で、ドリルを自覚的、個性的、創造的に進めている。ドリルについて単体で云々するのでなく、カリキュラムの全体構造や子どもの学びのメカニズムとの関係でその位置付けや質を勘案しながら、実践展開のあり方を考えていくことが重要である。

私達は、この<計算の繰り返し学習>についての指摘を<計算練習の宿題>に読み替えることによって、新たな示唆が得られるだろう。

<計算練習の宿題>もまた、子どもに「自らが求める暮らしや学びに生かす筋道」が見通せるようにすることで、目的意識をもって進んで取り組むものにすることができるということである。

奈須氏の紹介している伊那小学校の実践について、ブランスフォードのジャスパー・プロジェクトを想起される方がいらっしゃるかもしれない。

子供にとってリアリティのある学校学習は、リアリティのある宿題:家庭学習を導くのだ。

また、そこまでのリアリティが確保できなくとも、単元展開の中に<計算練習の宿題>を子供にとって必然的に位置付けた構想を描くことが、手立ての工夫の一つに成り得るのではないかとも思う。