どの子も安心して2日目に登校できることを願って
どの子も安心して新年度の2日目に登校できることを願って、私が30分間に5つの「小さなねらい」を実現しようとした授業についてです。
その前に、「5つのねらい」だからといって、5段階で展開する授業でもなければ、5つの指導方法を用いた授業というわけでもありません。一つの手立てで複数のねらいに迫ろうとしたり、複数の手立てを組み合わてねらいを達成しようとしたりするのが、「教育技術の常識」ですし、「教育の事実」でしょう。
ただ、この30分の間には、ずっと底流に流れていた「技術」があります。
それは、「徹底的に褒める」ということです。
今、「徹底的に褒める」ということを「技術」と書きましたが、急いで訂正しなくてはなりません。「褒める」とは、私にとって、「思想」であり、「信念」であります。だから、「褒めて伸ばす」とか「褒めることと叱ることのバランスをとる」とか、まして「アメとムチ」といった表層的なギミックではありません。
<子供たちは、褒められ、認められ、自信を育むために学校に来ている>と、私は考えています。
前置きが長くなりました。「褒める」ということについては、また後日に述べるとして、ある年の最初の授業をスケッチします。
新しく担任をすることになった教室に入ると、既に子供たちは席に着いていました。
ここですかさず、「褒める」の三連発。
「どうして、その席に座っているの。」と、尋ねると、
「自分たちで番号順に座った。」と、ある子の返事。
「偉い!自分たちで考えて決めることができるんだ!」
と、褒めます。もし、「前学年の先生に言われたから」と答えたなら、「先生の指示をしっかり聞けて立派です」と、褒めるつもりでした。
続けて、「褒める」の2つ目。
「先生=私が来るまで、椅子にちゃんと座って待っていられたんだね。偉い!」
そして、3つ目。
「今、先生がこうしてしている話をちゃんと聞いてくれていて嬉しいです。ありがとう。」
これは、本心です。私にとって、この時間の「褒める」は、「みんなに会えて嬉しいです。1年間が楽しみです」という出会いへの心からの感謝と喜びのメッセージなのです。ちなみに、もし、「自分は子供たちとの出会いでそうは思えない」という教師がいたら、思うように努力をしてみることをオススメします。あなたの顔つきが、言葉が、所作がきっと変わります。すると、もちろん、子供たちも変わります。私が先程のように言った時、何人かの子は途端に姿勢を直し、また何人かは私の方をじっと見つめてきました。
実は、ここまでで私がしたことは、ただ褒めただけではありません。
「今度の先生は、何だか褒める先生だな。」
「自分たちで考えて行動すると、この先生は褒めるんだ。それを僕たちに求めているんだな。」
「話をしっかり聞いたり、席にちゃんと着いていたりすることを求める先生なんだ。」
ということをもう教えたことになります。つまり、私という新担任の自己紹介が既に始まっており、教育方針を示し、学級のルールを説明したことになります。
この「間接的」で「対話的・実際的」な「指導」は、変化のある繰り返しによって続きます。
「ところで、天井を見て気が付くことがありませんか。」と問います。発言する子がいたら、すかさずその子を褒めます。新しい学級で、しかも初日の、それも始まったばかりの授業で発言するなんて相当なものだからです。さらに、もしもこの子が先程の「自分たちで番号順に座った。」と答えた子だとしたら、「あなたは、素晴らしいね。発表が得意なんだね。」とすぐに伝えます。お分かりだと思いますが、実際は、その子に限らず個々の子供たちについての引き継ぎが前学年よりされています。それを頭に入れた上で、この30分間で<全員を褒める!>ことを目論み、そのチャンスを伺いながら授業を進めているのです。
さて、これで、「この先生は発表を求める先生だ。このクラスは発表を求められるクラスだ。」ということを教えたことになります。
では、天井を見させたのは何のためだったかというと、電灯です。点いていたならば、点けた子を褒め、点いていなかったなら、「誰か点けてくれますか。」と頼むためです。もちろん、スイッチを押しに行った子を褒めることができます。それでもう、「自分から進んで動く」「教室の電灯は自分たちで気付いて点けるものだ」ということを教えたことになります。次の日から登校したら何をしたらいいのかを伝えたことになります。
次に私は、窓に目を向けさせました。意図とその後の様子は書くまでもないでしょう。
ここまでで約5分です。
5分間ではありますが、教室に入ってきた時とは明らかに教室内の雰囲気が変わっています。良い方向だけではありません。悪い方向にも変わっていることに気づきます。
一部の子にとっては、私が求めすぎているはずです。
「大人しく座っていなくてはいけない」「話をしっかり聞かなくてはいけない」「自分から進んで動かなくてはいけない」…何と息苦しいクラス、先生なんだ!と感じている子もいるはずです。すぐに、その子たちを安心させなくてはいけません。そもそもこのままでは、子供を「学ぶのが当たり前の存在」として決め付けてしまっています。
そこで、次に行ったのが、「本格的」な私の自己紹介です。
続きは、明日お伝えします。
ちなみに、教室に入った時に席に着かずに遊んでいる子がいた場合はどうするつもりだったのかというと、簡単です。まず、席に着いていた子を褒めます。次に、遊んでいて私に気づいてから席に着いた子に対して、「切り替えのよさ」を褒めます。まだ、遊んでいる子には、「スタートから元気でよろしい。」と褒め、席に着くことを促し、「席に着けたね。」と褒めます。おだてて言うことを聞かせたいのではありません。私にはその子供がそう思えるのですが、どうでしょうか。
「そんなことを言っても、本当に大変なクラスに当たるときもある!」という声もあるでしょう。分かります。過日、教室にカメラを設置していた学校のことがニュースにもなりました。そんなクラスの場合については、また追い追い…。