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運動会指導は実践知を検討する格好の場!

運動会に向けての指導に精力的に取り組まれている学校が多いことでしょう。
運動会は学校行事であることから、学年全体や全校での合同体育における協業的指導の時間が多く取られると思います。
この時間こそ、教師相互の「実践知」を検討する格好の機会になると考えます。
特に「若手」教師にとっては、よい「学び」の場になるはずです。

教師が実践を行う際に用いる「知識」には、「理論知」と「実践知」があるといえるでしょう。

「理論知」とは「研究」によって導かれる演繹的知識であり、「実践知」とは「実践」での経験を通して教師が獲得した帰納的な知識です。
前者が一般的で普遍的・法則的であるのに対して、後者は具体的な知見や知恵であり、「技術」や「コツ」、「カン」も相当します。

教師は、この「理論知」と「実践知」を駆使して教育行為を行うのですが、とりわけ目の前に子供がいる実際の指導の場で物をいうのは、「実践知」です。
様々な事象が重層的に進行し、即座の判断が求められる具体的な指導の場では、身体化している場合の多い実践知が用いられるのです。

運動会指導のような大勢の子供たちを限られた時間内で効率的に指導する状況は、まさに実践知を縦横に駆使することが求められます。
そして、実践知とは、ほとんどの場合教師個々に「オリジナル」なものとして形成されているので、運動会の協業的指導の場は、多種多様な実践知を「披瀝し合う」格好の機会となるのです。
特に「若手」教師にとってよい「学び」の場になるとは、そういう意味です。様々な教師の実践知を「盗む」ことができるでしょう。

さらにそれだけではありません。
それぞれの実践知がどのような状況でどんな効果を上げるのか、逆に場面によってはどのようなデメリットがあるのかなどについて検討することも、また可能になります。

実践知とは、個別的・具体的な状況に対して用いる知見や知恵です。
理論知のような形式的な知識ではありません。

しかし、実践知もまた身体化して無自覚に用いるがゆえに、教師の中で形式化し、不適切な状況に対しても適応させてしまおうとすることが少なくないように思います。

例えば、合同体育を開始するための整列を促すとき、「子供を絶対に急がせてはいけない」と主張する教師が存在します。
「急がせることが思わぬ事故や怪我を引き起こす」というのです。したがって、教室から靴箱まではもちろん、靴箱から集合場所まで子供を走らせるようなことはしません。

では、入場をやり直すという指導場面ではどうでしょうか。
子供たちを再び入場位置に移動させるときに、ダラダラと歩かせることは、効果的でしょうか。
子供の意欲の減退を防ぎ、集中してやり直し練習に取り組ませるためには、むしろ駆け足行進で移動をさせた方がよいのではないでしょうか。

また、集団演技の指導では、初めに子供たちに全体像を提示し、その後で分節化して教える方法が効果的です。
しかし、全体像の提示が長すぎたり逆にわかりにくかったりする場合は、そのすべてを子供たちに示してしまうことは逆効果になるでしょう。

このように、実践知が形式化することによって、ネガティブな指導結果を招く場合もあるのです。

協業的な運動会指導の場では、そうしたネガティブな使用を教師相互に見合い、感じ合うことができます。どんな状況の場合にどんな実践知が効果的なのかの検討が可能になるのです。
そのことは、実践知そのものを深めることにもつながるでしょう。

ただし、そうした検討を可能にするためには、教師同士が開かれた関係であることが必須です。
実践知の適用のさせ方の食い違いが、教師同士の衝突を招く場合もあります。
そこまで含めての「協業体制」による運動会指導が行われていることを、心より願うばかりです。