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くじ引きで子供の座席を決めるもったいなさ

学校教育における教室の座席決めは、子供にとっても教師にとっても一大関心事です。
しかしながら、座席の決め方には「正解」が存在しません。

そのため、「くじ引き」で決めてしまおうとする教師も少なくないのでは?
しかし、ちょっと待ってください。
本当に「くじ引き」でいいのですか。

座席決めはなぜ「重要」か?

まず、なぜ座席決めが子供にも教師にも「重要」だと感じられているのか、確認してみましょう。

子供にとっての教室の座席の位置が、視力や身長などの身体的状況によって学習に影響を与えるだけでなく、人間関係を露骨に反映させてしまうものであることは、経験的に思い当たる方も多いはず。
親しい関係だと思っていたり親しくなりたいと願っていたりする相手とは近い席に座りたいと思う反面、学級内で孤立傾向にあると受け止められている子とは近くになりたくないと感じる子供が、少なからず見られます。
多くの子供が、教室内で毎日を「快適」に過ごしたいと願っているのです。

一方、教師にとっては、「仲良し」同士の席が近いことは学習効果を妨げる要因になりがちであり、特定の子供が疎外されている状態を顕在化させることは人間関係を一層悪化させることにつながるので、どちらも避けたいのです。また、座席決めを巡って、教師と子供の関係を損ねる場合もあります。
教師は教師で、どの子供にも教室内で毎日を「快適」に過ごしてほしいし、自分もそうありたいと願っているわけです。
ですから、座席が「重要」な意味をもつのです。それぞれの「快適」がかみ合っていないので尚更です。

座席決めにはどんな方法があるか?

では、座席を決める方法にはどんなものがあるのでしょうか。

くじ引きで決める方法があることは、先に述べました。
その他に、教師が決めてしまうという方法があります。
子供が自分で「ここに座りたい」と「自由」に決める方法もあります。
男女別々に「自由」に決めるという方法もあります。交互に片方が廊下に出て、その間に中が見えないようにした教室で席を選び、最後に組み合わせるという方法です。「お見合い」方式と読んだりします。
この「お見合い」方式は、最終的には「運」に委ねるので、「くじ引き」方式と同じ「偶然性」による決め方の仲間と言えます。
また、「教師が決める」方式も、実は同様です。子供にとって不可抗力な力が外的に決定するので、「偶然性」の仲間に入ります。

したがって、座席決めの方法は2種類に整理されます。
「偶然」によるものと、自分で決定するという「必然」によるものです。
他の方法があるかもしれませんが、基本的にはこのどちらかになるはずです。

さて、このどちらの方法を選んだとしても、必ずと言っていいほど学級内に不満やしこりは残るでしょう。
「すべての子供にとって納得がいく座席」は、存在しないからです。

そこで、教師の「権力の行使」に対して反発を買うことを回避し、「偶然だから仕方がない」と子供が最も結果を受け入れやすいであろう「くじ引き」方式が選択されるということにわけです。

しかしこの選択は、子供が「座席の意味」を考えるせっかくの機会を奪ってはいないでしょうか。

子供に「座席の意味」を考えさせる

私は年度当初の席決めにおいて、子供たちに決め方を徹底的に話し合わせてきました。

するとほとんどの場合、子供たちはまず、「視力や身長などの身体的特徴を考慮に入れる必要がある」と言います。
つまり、「決め方のルールを決めよう」と、考えを進めていくのです。

そして、ルールとしての座席の決め方を考え始めます。
その結果、概ね上記のような方法を出し合います。
それらを、上で行ったように「偶然に頼る方法」と、「自分で決める方法」に類型化させます。

子供たちは前年度までの経験に基づいて発表することが多いので、「自分で決める方法」を思いつかない場合もあります。
そういう時は、教師である私が教えました。
すると、「えっ」と驚く子供のいるときが何度かありました。
「自由に座ったら、好きな子同士になってしまい、よくないのではないか。自分も周りの子も学習に集中できなくなる。」と、いうわけです。

そのように、「偶然」方式と「必然=自分で決める」方式を比較させることで、両方法のメリット・デメリットが検討され、子供たちは座席のもつ意味を考えていくのです。
「自由」のもつ意味も合わせて問い直されていきます。
「本音」が交わされることも、しばしばありました。そんな時は、その子供たちのこれまでが「膿」のようなものとして絞り出されます。いささか「辛い」話合いです。
しかし、だからこそ席決めについての話合いには意義があると私は考えてきました。

例えば次のような一年間の学級の方向性を決める機能さえあります。
・この学級では、自分たちのことは自分たちで話し合って決めるのだ。
・この学級は、本音を言い合える場所なのだ。

そして、「自分の席は自分で決める」という方法を選んだ時、自分たちが次のような学級を目指していることに、子供たちは気が付きます。
・自分たちは、親和的な人間関係を築くことを目指す学級を目指しているのだ。
・自分たちは、よりよい学習を実現することを大事にする学級を目指しているのだ。

話し合った結果、方法が「くじ引き」に決まることもあります。
私は、ひとまずそれでよしとしてきました。子供たちがその方法を選んだことに価値があるからです。

それに、しばらくすると、子供たちの中から次のような声が聞こえてくるからです。
「くじ引きを選んだのは失敗だった。」
「自分はここよりも、あの席の方がもっと勉強を頑張れそうだ。」
また、座席のもつ次のような側面に目を向ける子供も出てきます。
「生活班の『力』がもっと同じ程度になるように座席を決めた方がいいのではないか。くじ引きでは偏りが大き過ぎる。」

座席の決め方を子供たちが話し合って決める方法は、安易な決定を嫌うため、手間が掛かります。
ですが、その分、得られるものも大きいのです。

学級内には、発達上の課題を抱えている子供も存在します。そうした子供に適した座席の位置というものがあります。例えば教師の指示が伝わりやすい位置や「クールダウンの部屋」に近い位置です。
しかし、他の子供たちからすると、そこにその子供が座る必然性は、身長や視力ほどには見えにくく、ルール化しにくいものです。
ですが、座席のもつ意味について話し合った学級ならば、その級友がその席を選ぶ理由が納得できるはずです。

座席の決め方を子供たちに考えさせることは、一人でも多くの子供が毎日を「快適」に過ごせるようにするための一番の近道ではないのでしょうか。