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【小説】廃屋ネイル(5/8)

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【第五話】

マンキツのパソコンで「コンカツ」と入れて検索するとそういう会社はたくさんあった。時代遅れかと思いきやそうでもない。ふざけ半分で検索したつもりが、意図せず手の皺に汗を滲ませる。見合いパーティーの所要時間は九十分でほぼ毎週末に開催されている。登録料も不要で女性は参加料も格安だ。想像が次第に明確なものになり前向きな気分になって来る。対象五十歳までなどというノアの箱舟まで用意されていて、素直にそこに食らいつく。氏名、年齢、携帯番号と嘘偽りなく入力し、最後に登録ボタンを押した。
キュウン、と音が鳴った。
なんだ、なんだと慌てているとパソコンは均一な真っ青の画面に切り替わり、英語の活字が現れた。ゴシック体が妙に無機質で、殺人メッセージみたいに見えた。いや、何を言われているのかがわからないから余計に怖いのだ。震える指先で電源ボタンを長押しするしか無かった。
相変わらず得体の知れぬ力に抗えない自分が不憫だ。
仕方なく昔読んだことのある懐かしい少女漫画を二冊読んだ。途中、着メールのバイブが鳴っていた。新入社員の川村さんからだった。
体調はいかがですか。
派遣登録会社からの電話には出そびれ、折り返しもしていなかった。
川村さんのメールからすると会社では私は体が優れずに休んでいることになっているらしかった。考えてみれば私はある日突然早退し休み続けているだけの存在で、本人だけがすっかり退職した気分になっているだけなのだ。渡辺さんに伝えたらちゃんと辞めることを派遣登録会社に連絡する予定だったのだが、根こそぎ私に関わるものを失くしたら、すっかりやるべきことも忘れていた。もう、いいだろう。派遣なのだから、ブラックリストに載って終わりだ。
しかし会社というものは連絡を絶たないで放置しておくと逆に関係が断ち切ることがしづらくはなる。対処が複雑になる分労力を使う。はっきり言われてすっぱり渡辺さんから切られた私はもしかしたらまだ幸せなのかな、などと考えた。

母に電話をかけると、
「なんでアンタ電話に出ないの?」
と、いきなりキレられた。全然覚えが無いので、何を言っているんだ、ボケたか、と心配になった。
「ほんとに何度かけても出ないんだから」
母は凄い勢いで怒っているがなんのことだかわからない。
「かかってきてないよ。電話番号間違えたんじゃないの?」
反論してみる。
「え、あんたもしかして番号変えたの?」
変えてないし、と言いつつ、念のため番号を復唱してみた。すると、
「ほら、間違ってないもん。絶対」
とますますスネる。もん、って。ババアが使う言葉使いか。しかしまてよ。ふと思い立って聞いてみた。
「イエデンが非通知設定になってるんじゃないの?」
「は?」
「だから、非通知設定になってるんじゃないの?」
「なんだってー?」
コントか。
「だから、ひ・つ・う・ち」
「聞こえてるって。その、ヒツウチって何。意味がわからん」
諦めてとにかくそちらに向かうとだけ伝えて切った。

「店閉めたんだって?」
「うん」
母は素っ気なく相槌をうち、リモコンでテレビのボリュームを上げた。耳障りなほど音量が大きい。
そんなに音を出して大丈夫なのかと心配になるが案外公団は造りがしっかりしていて隣近所の物音は気にならない。それにこのような年寄りがひとりで暮らしていることも多いので、お互いに耳が遠ければ問題はない。
とはいえ、母は耳が遠い上に人の話を聞こうともしない。聞こうとしないから聞こえないのか、聞こえないから聞こうとしないのか。
「どうして店閉めちゃったの?」
答えないので同じことを二回言った。イライラする。
「病気して入院したから」
あっさり言う。こちらも見ずに韓流に夢中だ。
「聞いてないし!」
「治ったから大丈夫でしょ。うるさいなあ」
しかたなく私はDVDのリモコンを横取りして画面を停止した。母は怒りもせず素直にこちらを見た。
「だって、連絡したって出ないしあんた」
そうだ。電話の設定をし直さなければらない。
「で、何の病気だったの?」
「胃がん」
思わず茶を飲む湯のみの手が止まった。
「……大丈夫なの?」
「大丈夫なんでしょ。手術も終わってこうして退院して何の不自由もなく生活してんだから。今どき胃がんなんて早期発見なら大したことないよ。膝が痛くてたまたま大学病院に行ったついでに人間ドッグ申し込んで良かったよ。ほぼ完治なんじゃないの?」
「ほんとにい? でもどうやって生活するつもりなの? 年金だけだと足らないでしょ」
聞こえやすいようにいちいちはっきり大きく発音している。はたから見れば喧嘩しているように見えるだろう。いたわりの感情と声のトーンが伴わない。
「わかってるって。誰があんたに頼ろうなんて思うかいな。ひとりが楽ー」
そう言ってとびきりの笑顔を見せる。ひとりが楽とか言いつつ、この人は全然ひとりではないのだ。私が物心ついたころ離婚して知り合いと一緒にスナック経営を始めた。なんか知らないけど天才的に昔からもてる人で、ちっとも美人ではないのにたまに様子を窺いに行くと必ず違う恋人がいた。白髪混じりのトラックの運転手だの、浅黒い定年間際のサラリーマンだの、あまり品の良くない中小企業の社長だの。
エラが張っていて、目は細いくせに口は大きい。百歩譲って上手にメイクすれば迫力あって悪くない気もするが、明らかに規格外ではあった。スタイルも決して良くはない。なのにそのハンデを背負ってのこれは、子どもながらに母の才能は凄いと認めざるを得ない。
母、加奈子、六十六歳。いまだ現役。
「あの人今愛人せーかつだもん」
と姉は言った。それが本当なのかどうかを確かめに来たというのも今回の訪問の理由だ。
「あんたと違ってね、うまくやってんのよ。ゴハン食べに来る男がいんのよ。私と食べたいって言う人がいるわけ。一回十万円の契約だからさ。困らないよ」
「選ばれし者なんだな、相変わらず」
「じゃあ、その一回十万円の価値のある料理をふるまってやろう」
母は立ち上がり、さっきまで背中を丸くしてだらだらしていたのにいきなりてきぱき動き出す。段取りが染みついていて動作に無駄が無い。彼女が持つ野菜は彼女の手に操られサクサクと千切られ、目分量で入れたサラダ油が熱せられる。モヤモヤ上がる煙さえもが素晴らしい演出に見える。彼女が包丁をさばき、フライパンを返し、しわくちゃな手で長い菜箸を持つ姿は確かに美しい。見惚れてしまうのだ。
あっという間に肉野菜炒めができた。私でもできるような料理かと思うが、何かが違う。味にも食感にもしまりがある。ポイントを突いている。
「美味いよ。久しぶりだよ」
「珍しいねえ、その素直さ。さては男に振られて弱ったね」
すげえ。
「何も考えずに結婚でもしてみたら気が紛れるよ。嫌になったら辞めりゃいいんだしさ」
姉と同じことを言い出した。
母や父と話をすると、元気をもらうどころか吸い取られている気がしてくる。どうしてまともに働かない人間がこんなに快活に幸せそうに生きているのか。
食べ終わって私が皿を洗っていると母がニタニタしながら近づいた。
「髪切ってやろうか。ふられたんでしょ」
人をからかうことしか頭にない。でもそれも悪くないと思った。
「いいかもね。ひどい傷みだし、美容院行くお金もないし」
母は手慣れた手つきで床に新聞紙を敷きつめた。その真ん中に椅子を置き私を座らせ、ビニール風呂敷をかぶせた。最初から頭が通る大きさで穴が開いていた。
「私、いつもこうして自分で切ってるの」
母はカサついた声を私のつむじに響かせた。
母のまだらな白髪のショートカットはなかなか清潔感があり、とても似合っている。全然自分でカットしているとは思えなかった。そんな才能もあるのだなあと感心する。
「楽しく節約せんとね。髪を自分で好きなようにカットするのって楽しいのよ」
「思い切りいっちゃって。でもかあさんよりは気持ち短めでね、あ、一応さあ、まだ女捨てたくないんでね、そのニュアンスよろしく」
「わかってるよ」
私の蛋白質がハサミの音とともに潔く切り離されていく。ささくれだった束が新聞紙に落ち、そのたびに乾いた音がする。
不思議だった。自分の古い一部がなくなることは快感なのだ。そうだ。昔から髪を切るたびにこの行為に後悔したためしは一度もないのに、なぜ懲りもせず私は髪を伸ばそうなどという心意気をいちいち芽生えさせていたのだろう。
伸ばし始めたのは五年前くらいだろうか。その年月を経、茶色を通り越して白くなっていた枝毛は見事にきれいにそぎ落とされ、首元は露わになって申し分のない気持の良さだった。なぜ余分なものをゆらゆら揺らして官能的な気分に浸っていたのか。つい先ほどまでの自分が信じられなかった。
「余分なもんがなくなるってのは気持ちがいいねえ」
終わると私は鏡を見て言った。
「余分なほどほど人を楽しくさせるものだよ」
容赦なく母は斬りつけた。
「猫が動くものにじゃれるみたいなもんで、ぴょんぴょん目の前で柔らかいものが跳ねていると男はそれに手を伸ばさずにいられなくなるもんだ」
そう言うと手早く新聞紙を折りたたむ。
私はねぎらいの気持ちを込めてインスタントコーヒーを淹れた。母は、ありがと、と短く言い、肩を窄めて少女のようなしぐさでカップを両手で持った。その爪は短く切り込まれ、白い縦線が目立っていた。
「こういうの興味ある?」
私は手の甲を母の顔の目の前に突き付けた。
「ネイル、自分でやるんだ」
「……不自然だね」
口角を下げて明からさまに嫌そうな顔をした。
「これは米だって磨げるんだよ」
「もう少し明るい色ならまだねえ。そんな、血が腐ったみたいな青色は嫌だわ。っていうかね、男はあんまりそういうの好きじゃないよ。あんた分かってる?」
私は煙草に火をつけ、はい、そうでしょうねーと返事をし、煙草をくわえたまま絨毯に横たわった。渡辺さんが選んだ仙道千夏と同じことを言う母。確かにその基準を大切にすることで母は生活ができている。そしてこの年齢になっても誰に教わるでもなくその機微を分かっていて、全うしている。私はしばらくの間、下から見上げるとなお一層歪な、母のたるんだ皮膚に包まれたの形を見つめ、この人なりの楽しげな生活を邪魔せず生きていく方法をもう少し探してみようと思った。

廃屋ネイル(6)へ続く



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