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【心の物語】身体に閉じ込められたある男の物語〜その2.本当の孤独

私と風景だけの世界

船の中で一人だった時には、少年は孤独を感じてはいなかった。ただ、海の波と潮風、揺れる船が、彼の世界だった。少なくとも、両親には捨てられた自分は存在していなかった。

それまでだって、寂しさや悲しさ、孤独というものを、少年は感じてはいなかった。だが、不快さや怒り、喜びやワクワク、興奮を感じることはあった。彼の感情表現は、常に身体的で、そこに言語は介在していなかった。

それを、周囲は奇妙だと思っていたかも知れなかったが、そのことを少年は察知してはいなかった。なぜなら、彼の人生に介在するあらゆる登場人物は、彼にとっては、風景の一部であり、そこに意志があることを、彼は認知していなかったからである。

個の認識

栄養失調状態を、司祭が救ってくれたことは、少年にとっては、一つの新しい体験だった。

生命の際へ落ちていったことは、彼が初めて、自分の肉体の限界を感じた体験だったからだ。

「この体は、確かに生きていて、限界というものがあり、世界は自分を生かさないこともある。」

それは、彼が、自分という実体を初めて察知した瞬間だった。

そして、そこに司祭の手が差し伸べられた時、彼は初めて、他者という存在を認識した。

それは、風景から浮かび上がってくる、固有の存在だった。

その存在は、風景以上の意志を持っていることが、彼の心に伝わってきた。

彼を取り巻く風景の中には、時々こうして固有の存在があり、その存在たちは、意志を持って、彼に関わっているという事実に、彼は初めて触れたのだ。

だとしたら、彼を栄養失調に貶めた存在はなんだというのか。

彼を覆っていた世界という膜に、静かにメスが入った瞬間だった。

孤独の始まり

司祭の手筈通りに、彼は、自宅に戻ることになった。

地元の名士とも言えるウィルソン家と、大きな揉め事を起こすわけにもいかないと、司祭は心づもりを明確にして、ウィルソン家に、息子のマシウスを連れて帰ることにした。

神の意志に沿って、息子を旅立たせたことについて、家族の勇気を讃えながら、神の意志によって、息子が生かされたことを、うやうやしく祝福した。

ウィルソン家の君主であるマシウスの父親は、終始硬い表情で、顔に緊張を浮かべながらも、最大限の誠意を見せて、司祭の言葉を受け取った。

マシウスの母親は、落ち着かない様子でうつ向き、司祭とは目を合わさなかった。そして、時々、夫の様子を伺っていた。また、娘の肩を抱いて、なるべく心のうちを見破られまいと、その緊張を隠そうとしていた。妹は、ただ、両親の様子と兄のマシウスの表情をじっと見ながら、その場に立っていた。

「神の意志によって、生かされた息子に祝福を!」

マシウスの父は、大袈裟に手を広げて、息子に歩み寄った。

マシウスは、父であるこの男こそが、自分を一人船に乗せたのだということ、また、それは自分を死に至らしめるための意図的な計画であったことを理解した。

そして、初めて、孤独という感情を味わっていた。

続く

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