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北朝鮮の軍事偵察衛星「万里鏡1号」の分解能はどのくらいなのか?

2023年5月31日、北朝鮮は軍事偵察衛星だとする衛星を打ち上げ、直後に失敗してロケット、衛星ともに海に沈んだ。翌月この衛星は引き上げられ、韓国の調査によれば「偵察衛星と呼べるような機能は持っていない」のだという。

実際そうなのだと思うし、その見解に異論はないので、「ではどのくらいの分解能を持っているのか」を推定することはしなかった。何しろ、ほとんど「小型冷蔵庫くらいの大きさ、重量は200~300kg程度」ということしかわからない。数字も推測するしかなく、その状態で何か推定してもしょうがない。裏も取れないのでしないほうがよいと思っていた。

考えを変えたのは高橋杉雄さんのこのツイートを見たときで、「わからないならわからないなりにやってみてもいいかもしれない」と思うようになった。今はさまざまな数字をえいやで決めて当てはめてみるしかないので答と言えるようなものは出ないけれど、今後もっと情報が出てきたときに「何がわかれば意味ある推測ができるのか」を考える訓練になると思ったからだ。

高橋さんのいう「センサーは外から買ってきたのではないか(内部で作ってないだろう)」というのはよい出発点になる。卵の上に卵を重ねるような推定だけれど、失敗して潰れたところで卵焼きにでもすればいい。

北朝鮮の軍事偵察衛星についてわかっていること

衛星の目的:軍事偵察衛星
名前:万里鏡1号(Malligyong-1)
サイズ:高さ1.3m?(https://www.nknews.org/2023/06/north-korea-rushed-satellite-launch-after-seeing-rok-rocket-success-seoul-says/)
重量:200~300kg(推定)
高度:500kg
打ち上げ:2023年5月31日、同日打ち上げ失敗、黄海に墜落
引き上げ:2023年7月5日
経緯:5月16日、金正恩総書記による衛星の視察、5月30~6月11日打ち上げ通告。7月5日の打ち上げ後の韓国見解によれば「暫定評価では解像度や標的追跡の点で偵察能力は低いとみられる」
https://jp.reuters.com/article/northkorea-missiles-idJPKBN2YL01P

前提:光学衛星のセンサーのこと、プッシュブルーム式のこと、ロシアのことなど

まず「軍事偵察衛星」といわれているものは基本的に光学地球観測衛星だという前提から、地球観測衛星の地上分解能の考え方を当てはめる。一応「SAR(合成開口レーダ)の可能性は?」ということも考えたけれども、万里鏡(望遠鏡)1号という名前からして光学衛星だろう。さまざまな意味で北朝鮮の後ろ盾であるだろうロシアは偵察衛星の配備が弱くて光学衛星でも分解能0.5mくらいまでしか実現していない、SAR衛星もあまりよろしくないと聞いた。もし北朝鮮が300kg級の衛星で実用になるSARセンサーを作れるなら、衛星部分はロシアが作って共同開発にするのじゃないだろうか? 衛星のバス系ならロシアは経験と技術力があるのだから、役に立つセンサーを作れるならロシアが放っておかないだろう、そうなっていないということはロシアが欲しがるようなセンサーにはなっていないんだろう、という考え方はこの後も当てはめる必要があると思う。

プッシュブルーム式の衛星走査 Credit: NASA

さて光学衛星の分解能を考えるにあたって、目標は「分解能1m以下」となる。MaxarやAirbus D&Sが分解能30cmの画像をバンバン出しているのでサブメートル級でも追いついていないが、地上のある物体を見分けるのには最低でもその5倍の分解能が必要と一般にいわれることを考えると、自動車1台を判別するのに5ピクセルはほしい。目標1m以下はセオリーだと思う。

高橋さんはソニーのデジタルカメラのCCDをそのまま利用すると、という前提から始めた。入手性ということを考えるとデジカメを利用するという考え方はとてもよくわかる。基本的にはその方向を継承したいと思うけれど、2つほど人工衛星ならではの事情を考慮しておく必要がある。地球観測衛星のセンサーは基本的にCCDをエリアセンサーではなく、ラインセンサーとして使用する。これを「プッシュブルーム方式」といい、衛星の進行方向によってラインセンサーが一列ずつイメージを取得していく。観測データは長いストリップ状になる。

エリアセンサーで一度にある面積をパシャっと撮らない理由は、センサーの数が多くなると宇宙放射線で損傷するピクセルが増える、電力消費が増える、位置合わせが大変になるといったことがある。そのため、輸出規制をかいくぐってカメラを買ってきて中のCCDを引っこ抜いたとしても、そのうちの一部しか使わない(使えない)はずだ。板チョコじゃないので物理的にCCDを割って使うようなことはできないと思うが、どこか有効な、エラーの少ない一列を選んで残りをキャンセルするといったことになるのかもしれない。残ったピクセルは使わないのだから放射線でやられても困らない。

ここまでをまとめると

  • 北朝鮮の軍事偵察衛星の地上分解能目標を1m以下とする

  • 光学衛星である

  • CCDをラインセンサーとして使う

地上分解能の考え方

地上分解能を決めるときに考えなくてはならない要素は本当にたくさんあって、そもそもGSD(Ground Sample Distance)が指標でいいのかというところまであるけれども全部考慮に入れるときりがないので、ここではとにかくGSDを出す、ということを目標にする。いちばん基本的なGSDの算出式に

GSD = 波長 / 口径 × 高度

という考え方がある(『宇宙からの地球観測 地球物理量の計測原理』島田政信著 2021年東京電機大学出版局より)。 この場合、波長は可視光なので450nmとして、高度は500kmらしいのでそれでよいとして、万里鏡1号にどれだけの大きさ(口径)の光学系を積めるかということを検討しないといけない。

あるいは小型衛星向けのマルチスペクトルカメラを作っているメーカーの資料に↓の算出式がある。この場合、高度しかわからないので、ピクセルサイズ、焦点距離という2つの要素をえいやする必要がある。

GSD = Orbital Height x Pixel Size / Focal Length

口径も焦点距離も衛星の寸法や重量に依存してくるはずだ。視察のニュースのときの万里鏡1号(ダミーではないとして)で考えるなら、高さは1m前後で1.3mという推定値はまああるかも、幅と奥行きは0.5~0.6m四方くらい? といったところだ(比較対象がないのでとても難しい)。

もっとハイエンドな小型衛星と比較してみると、キヤノン電子のCE-SATシリーズは口径200mm、400mmといった光学望遠鏡を搭載しているが、北朝鮮が最初の軍事偵察衛星でそんなすごい光学系を積めるなら苦労はしない。波長450nmで考えるなら、口径200mmのときの分解能は1.13m、口径400mmなら分解能は0.56mだ。こんな性能のセンサーを作れるなら絶対ロシアが放っておかない。

あるいは、東北大学が開発したRISESATは、焦点距離1000mm、口径100mmのカセグレン反射望遠鏡を搭載していることがわかっている。この光学系は衛星向け専門のメーカーが作ったものなので、市場で売っているもので簡単に真似できるはずはないが、それでも手に入るか否かでいったら、同じスペックのものが入手できる可能性がある(RISESATは50kg級なのでバスとミッション機器の比率的にもすごいので、入手性以外の点は真似できるとは思わない)。これで計算してみると、分解能は2.25mだ。本当にこの性能が出るなら、光明星3号とか4号のように農業や災害時に利用するというならむしろ大したもんだとなるが、軍事偵察衛星衛星というレベルでは確かにない。ただ、サブメートル級はすぐそこ、警戒したほうがよいという気はしてくる。

ここまでをまとめると

  • 分解能の算出に必要な数字「波長」「口径」「焦点距離」「高度」「ピクセルサイズ」

  • 口径と焦点距離は望遠鏡の大きさ、衛星サイズに依存する

  • 光学系が優秀ならサブメートル級、市販の望遠鏡を活かせるなら数メートル級

画素ピッチは細ければよいのか?

上で示した計算式の中で、ピクセルサイズについて触れていなかった。なぜかというと、この数字こそが数少ない、光学衛星設計の際にいじれる要素ではないかと思うからだ。

Resolution Metrics for Space-Based Imagery より

Aerospace Corporationが2014年に公開した光学衛星の設計に関する資料に「PSF」と「Q」というキモになる数字が出てくる。PSF(点像分布関数)というのは、すごく乱暴にいうと取得した画像のひとつひとつの点光源のぼやけ具合と理解した。いくら分解能が高くても、像として見えるところをデータ化しないとなんにも意味がない(暗くてぼやけてよくわからない)ことになる。「だいち3号(ALOS-3)」の素晴らしい資料によると「PSF径と画素ピッチの関係が地球観測センサ設計のキモの一つ」といい、

d(画素ピッチ)/ f(焦点距離)= GSD / h(軌道高度)

という関係が成り立つのだそうだ。そして、焦点距離は衛星のサイズの制約を受けるし、高度にしても好き勝手なところに衛星を打ち上げることはできない。高度300kmにしたいと思ったところで、スラスターを搭載して落ちないようひたすら高度を制御するような技術が必要なわけで、結局500~700kmくらいの実用的な高度になってしまう。実際、万里鏡1号は高度500kmといわれている(結局、打ち上げ早々に墜落してしまったので確認はされていないが)。

『先進光学衛星「だいち3号」(ALOS-3)搭載「広域・高分解能センサ」の概要と周辺技術』 より

分母であるところの焦点距離と軌道高度が物理的な制約でどうしても決まってしまうのであれば、画素ピッチという要素だけが唯一、センサーという箱の中で完結する、分解能を上げたり下げたりできる要素なんではないのかという気がしてくる。じゃあとにかく一番画素ピッチの細かいやつを買ってくればいいということなのか?

そうは問屋が卸さない、ことを表すのが「Q」という値だ。いくら高分解能でもモアレが発生したら像として意味がないし、基本的に画素ピッチは大きい方が1つのピクセルが取り込む光の量は多いので像が明るくなる。こうした要素を無視すると最終的に意味のあるイメージが作れない、と私は資料を読んだ。

その上で、ちゃんと光学衛星のすべての要素を最適化できればいいのだけど、北朝鮮のように別の国がやっていることを外から真似て何かを開発しなけれればならない国が、たとえば半導体のプロセスのコントロールができるだろうか? たとえば、先程例に上げた焦点距離1000mmの光学系を積んだ衛星で、高度500kmでGSDは1mを実現したいと思ったら要求される画素ピッチは2μmだ。市場でデジタルカメラを調達するという方式だったら、35mmカメラにそんな小さな画素ピッチのものはないと思うし(APS-Cならあるかもだが500kmの高度でどれほど明るく見えるかの保証はない)、フルサイズミラーレスカメラの中で画素数トップクラスのSONYのα7R Vでも計算上の画素ピッチは3.7μmだ。結局、万里鏡1号のサイズで分解能1m以下を目指すという目標そのものに無理があると思う。

もちろん、光学系をもっと大型化して焦点距離を長くすればいいという考え方はある。ロシアは反射望遠鏡を作る技術は普通に持っているだろうから、そこなら教えを受けることはできるかもしれない。そうすると、今度は画素ピッチを固定しておいて、焦点距離を伸ばす方向で考えてみよう。ちゃんと最適化した日本のALOS-3は、画素ピッチが8μmだった。Aerospace Corporationの資料でも画素ピッチは8μmに固定したマトリックスが作られていて、「8μm」はひとつの目安となりそうだ(大きい方なら中古カメラで画素ピッチ8μm級ならSONYのα7 Sなんかがまだ手に入りそうである)。ちなみにALOS-3は初代「だいち(ALOS)」と比較して有効開口径比2倍、焦点距離比3倍になっている。3トンと衛星も大きいがその中に焦点距離6.86mもの光学系がおさまっているという素敵な衛星だった。返す返すも喪失が痛い。

d(画素ピッチ)/ f(焦点距離)= GSD / h(軌道高度)

先ほどの式を、画素ピッチが8μm、GSDが1m、軌道高度は500kmに固定して計算してみる。すると焦点距離は4000mmになる。今度はやっぱり光学系が構体に収まらない問題が出てきた。ちなみに地上の望遠鏡で焦点距離4000mmのものを調べてみると口径400mmとか小さくても315mmとかである。とても高さ1.3mの衛星の中に収まるとは思えない。衛星はがらんどうではないので、中に電源からオンボードコンピュータから姿勢制御装置からデータレコーダから一式入っていないといけないのだ。光学系にそんなに大空間はとれないだろう。

じゃあ衛星を大型化すれば……となるが、今度はどうやって打ち上げるんだ問題が玉突き的に出てくる。また、高性能なセンサーを活かすために衛星を大型しないといけないけどそこができない(ボトルネック)なら、やっぱりロシアが放っておかないだろう問題が出てくる。バスなら経験豊富なんだから、衛星を作ってあげればいいじゃないか。ついでに打ち上げてあげればいいじゃないか。共同開発でお互い偵察衛星を獲得できればハッピーなはずだ。

結局、万里鏡1号のサイズと、センサーの性能はコインの裏表で、意味あるセンサーが作れなかったからあのサイズ、あのサイズだから意味あるセンサーにはなりようがない、ということなのではないだろうか。

最後に、もし画素ピッチが8μm、焦点距離は1000mmで高度500kmに衛星を打ち上げた場合、万里鏡1号の地上分解能がどうなるのか計算してみよう。

8μm / 1000mm = GSD / 500km

この場合、GSDは4mである。やはりこれを「農業用の衛星だ」といって出してきたのならむしろ本気度が高いと思わせられるが、軍事偵察衛星と言い張るには無理があると思う。

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