あたりまえと言う言葉の怖さ

よく会話の中で、『こんなのあたりまえでしょ』とか聞いたことはないだろうか。

良く考えてみるとすごく使うのに、怖さを感じるのはボクだけでしょうか。だって、そのことが当たり前なんて誰が決めた??昔からの風習とか学校で言われ得るからなど綺麗事を理由にしてるのでは??

当たり前で片付けるのは考えることを放棄すると言うことだと思う。

世の中が当たり前を無意識に使うことによって国も県も元気に生きてるだろう。

昔の時代なんて、考えて発表したことが政府にとって不都合だったら殺されてしまってるでしょ。そこからではないかと思う。考えられ、発信することは自分の首を締めるような行為だと。

だか、今はどうだろうか。言っところで最悪炎上くらいだろ。西野亮廣さんも炎上したことがあったが殺されてはないよね?なぜだろう。
 
なぜなら、炎上をした際に叩いてる人は叩くことを当たり前とし、殺さない程度にやることを当たり前としてるからだ。

あえて、強く言うと炎上の火を盛り上げてるバカは無意味な時間を過ごしてると思う。だって、叩いたところで金が入ってくるの??信用が大きくなるの??いいことがどこにあるの??
本当に馬鹿だと思う。 

当たり前は人を無意識に洗脳させる恐ろしいものだ。だから、全て鵜呑みにするわけでなく常に自分だったら、どう考えるかを考えた上で勉強することによって自分の道が開てくるのではないかと思う。

炎上して、馬鹿にしたいのなら何か自分の利点を探した上で行え。時間の無駄だ。


嬉しいです!!