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クズに覆われる

日本の里山の荒廃が叫ばれて久しいが、その象徴的な植物のひとつにクズがあると感じている。竹林の拡大もまた別の大きな問題だけど、今回はクズについて考えてみよう。

クズはツル植物。ツル植物という生きざまは特徴的だ。植物は上へ上へ伸びようとする。それはライバルよりも背が高くなることでたくさん光合成するためなのだが、ツル植物は少々ずるがしこい戦略を持っている。

太くてかたい幹で自立することをあきらめて、ほかの植物でも建物でもフェンスでも電柱でも、とにかく上に伸びている何かに依存することで、手っ取り早く高さを確保するのだ。ほかの植物よりも日当たりのよい「特等席」を確保できるので、どんどん光合成する。光合成で得られた有機物を使って、また新しい葉やツルや根っこを伸ばすことができる。ほかの植物とちがい、光合成をしない幹をつくらずに済むんだから、まことに効率的な生き方である。だから、クズがひとたび繁茂すると、その場所のほかの植物を圧倒してしまう。

日本の里山では、このようにクズに支配された場所をよくみかける。クズの葉っぱやツル自体は冬になると枯れてしまうが、夏の間の光合成で得られた炭水化物は地下茎にせっせとため込まれており、また来春になるとすごい勢いでツルを伸ばしはじめるからまことに始末に負えないのである。

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クズは日本に土着の植物である。古来から日本人の生活になじんでいたが、最近になってやたらと里山にはびこるようになった。それには農村ではお決まりの過疎化・高齢化で里山の手入れをする人が減ったという理由もある。
さらに、むかしはクズの根っこを掘って葛餅をつくり、ツルを縄にしたり繊維を取ったりといろいろな利用をしていたのだが、最近そんなことをする人はほぼいなくなってしまったということもある。100円ショップに行けば便利で丈夫なビニールひもが買えるのに、わざわざクズを縄として使ったりはしないということだろう。

ちなみに外来種問題というと、とかく日本は被害者という意識を持つことが多い。確かに日本は島国であり、島国は大陸とくらべて外来種問題の被害者になることが多い。しかしそれはいつでもそうだというわけではなくて、ときには日本から出た生物が海外で外来種として問題を引き起こすこともある。

クズは、その成長の早さを買われ、日本からアメリカに持ち込まれた。ひとむかし前まで、世界の人々は外国産の植物をありがたがっていた。アメリカに自生する植物にはないくらいの勢いで旺盛に繁茂するクズは、荒れ地の緑化などに活用されていたのであった。しかしクズは、すぐに人間のコントロールを逸脱してしまった。いまではアメリカのいたるところに自生することになってしまい、アメリカ人を悩ましている。

日本では、アメリカからやってきたセイタカアワダチソウやオオキンケイギクが問題となっている。同様に、アメリカでは日本生まれのクズが問題となっている。外来種問題はお互いさまなのである。

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[写真 クズの成長スピードには目を見張るものがある。ほんの数日止めておいただけの自転車がツルにからめとられていることも。]

生活様式と食生活の変化で悪者になってしまったクズ。しかし、無理やりむかしの生活に戻すよう、人びとを強制はできない。むかしみたいにやろうというのは現状維持バイアスであり懐古趣味であり、それを現代人に押し付けるのはよろしくないと思う。特に専門家が気軽に文明批判をするのはあまり良いことだと思わない。それでもどうにかして、資源としての潜在的な価値のあるこの植物をうまく利用し、適正に管理することができればいいなと思ってしまう。

たとえばクズの根っこを掘って葛餅を自作するという趣味が流行ったりしたら。こういう妄想をするのは楽しいけど、実際に地面に穴を掘るのは想像以上の重労働なので、なかなかやりたがる人はいないだろう。掘り出した根っこをまた粉として精製して・・・。葛餅が口に入るまでにはいろいろな手間がかかる。現代人はそういう手間をショートカットして生きているんだけど、たまにはすべてを自分でやってみるという経験、ありなのかもしれないとは思う。

だれかこの状態を、うまく解決してくれないだろうか。期待されているのはデザイン思考だと思う。誰かが困っていることを解決し、できればその副産物で誰かの喜びを創造するみたいな。

環境問題は、規制とか強制とか義務とかのルールでは根本的な解決はむずかしいと思う。誰かの罪悪感や使命感に訴えて自己犠牲を強いるようなやり方もまずい。みんながハッピーになるようなナイスアイデア、一緒に考えてみたい。

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