【勅使河原先生の縄文検定】 第3問

『縄文時代を知るための110問題』(11月8日出荷開始)の刊行記念。
著者勅使河原彰さんが本書から厳選した10の「問題」。
https://www.shinsensha.com/books/4447/

【第3問】縄文人の主食は何か?

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【答え】植物質食料、なかでもドングリ、クリ、クルミ、トチなどの堅果類を主食としていた。

 約一万一五〇〇年前にはじまる完新世の日本列島は、その大部分が落葉広葉樹林と照葉樹林でおおわれ、そこにはドングリ、クリ、クルミ、トチなどの堅果類が豊富な実をつける。堅果類の主成分は、コメなどの穀類にたいへん近く、栄養価もそれに劣らず高いだけでなく、貯蔵するのにも適するという利点がある(松山利夫『木の実』法政大学出版局、一九八二年)。また、クズ、ワラビ、ヤマノイモなどの根茎類も、エネルギー源となる炭水化物を多く含んでおり、堅果類とともに主要な食料資源になっていた。
 縄文時代の食料資源については、かつて貝塚研究がその主たる役割を担っていた。それは日本列島の土壌が酸性なために、有機質の資料を腐朽してしまうことから、縄文遺跡を発掘しても、出土する遺物は無機質の土器や石器に限られてしまう。ところが、貝塚では、大量の貝殻が土壌をアルカリ性に保つとともに、水に溶けた炭酸石灰が保護の作用をして、有機質で本来なら腐朽してしまうはずの豊富な種類の魚骨や獣骨が残されることから、とかく魚介類や獣類などに焦点が当てられがちであった。
 ところが、一九六〇年代からの大規模な国土開発によって、低湿地の遺跡が本格的に発掘されるようになった。低湿地では、地下水が資料を水漬け状態にして酸素の供給を断つ役目をすることから、有機質の植物質資料を豊富に残す。とりわけ一九六二年から発掘が開始された福井県三方上中郡若狭町の鳥浜貝塚は、低湿地でかつ貝塚(低湿地性貝塚遺跡)という好条件を備えていた。この鳥浜貝塚の前期の食料残滓をもとにカロリー量比を分析した結果は、ドングリ、クリ、クルミなどの植物が約四二パーセント、魚介類が約四〇パーセント、獣類が約一八パーセントというように、植物質食料が半数近くを占めていることが明らかとなった(西田正規「縄文時代の食料資源と生業活動―鳥浜貝塚の自然遺物を中心として―」『季刊人類学』一一巻三号、一九八〇年)。
 これも低湿地性貝塚遺跡として知られる滋賀県大津市の粟津湖底遺跡の中期でも、植物が約五二パーセント、魚介類が約三七パーセント、獣類が約一一パーセントと、植物質食料が半数以上を占めていた(瀬口眞司『湖底に眠る縄文文化 粟津湖底遺跡』新泉社、二〇一六年)。また、クズやワラビなどの根茎類、タラノキなどの木の芽、キノコなどは食料残滓がほとんど無いことから、これらを加えるとカロリー量における植物質食料の比重は、もっと大きくなるものと考えられる。
 一方、炭素・窒素安定同位体比分析法からみた縄文人の食性でも、本州島の内陸部の集団では植物質食料が占める割合が圧倒的に高いが、沿岸部の集団といえども、もっとも安定した食料は、堅果類などの植物質食料であったことが明らかになっている。ただし、海獣類に恵まれた北海道やサンゴ礁で魚介類が豊富な南西諸島では、それぞれ海獣類と魚介類への依存度が高かったということである。いずれにしても、たんぱく質と脂肪は、本州島の集団でも魚介類と獣類に大きく依存していた。
 一口に堅果類といっても、時期や地域によって、その利用に違いがある。ドングリとは、ブナ、イヌブナ、クリを除くブナ科の果実の総称で、照葉樹林が主体となる西日本では渋みが少ないシイとカシ類、とくに生でも食べられるイチイガシが縄文時代をとおして利用された。
 一方、東日本の落葉広葉樹林のドングリは、アク抜きの必要があるコナラやクヌギだからか、クリやクルミを好む傾向があり、とくに前・中期の遺跡ではクリの出土例が多い。また、東日本の後・晩期には、アクが強いトチの利用が盛んとなり、そのために水場遺構と呼ばれるアク抜きのための施設がつくられた(佐々木由香「縄文人の植物利用―新しい研究法からみえてきたこと―」『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』新泉社、二〇一四年)。

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