一目惚れより深く: 光る君へ 33回「式部誕生」感想
光る君へ 33回「式部誕生」ということで。
清少納言ことききょうさんは、本人が希望して宮仕えとなりましたが、まひろちゃんの場合は「なりゆき」そのもの。
本人がそう希望したわけではない。
リクルートされたし経済状況を考えると働きに出るしかないし……という感じ。
◾️あってない個室◾️
史実では藤式部は初出仕から1週間程度で家に戻ってしまい、以後半年ほど、促されても出仕しなかったのは、朋輩の女房たちから無視され続けるという「いじめ」に耐えかねてとのこと。
ドラマでもそうなるのかなと思って見ていたら、そういう雰囲気はあるけれどもそれよりも
「物語を書くために出仕したのに、こんな落ち着かない、気が散ってしょーがない場所で執筆なんかできるか!」
というほうが主に描かれました。
実際そうだったんだろうな、そういうこともあっただろうなと思わされる説得力。
当時はプライバシーなんてほぼなかったとは聞いていたけど、なるほどこんなんじゃ、人々が寝静まった深夜にでも書くしかないことになってしまう。
いじめなんてフィクションでだって見たくはないよと内心思っていたので、「この方が説得力もあるし、ありがたいな」と思いました。
女房とは、「房」つまり個室を与えられている上級の侍女、といった意味ですが、実際にはどんな居室だったのか、今まではちゃんと話を聞く機会もなかったんですよね。
そのようすがわかりやすく描かれて、興味深かったです。
長――い部屋(というか空間)を、屏風、几帳、御簾、壁代で区切ってあるだけなんですね。
広い部屋をパーティションで区切ってあるだけ。
それを「房」って呼んじゃうんだもんな……。
天井裏からその様子を俯瞰で眺めるという映像で、面白かったです。
それにしてもあんな状況で密会なんて可能だったんですかね?
公達が女房の個室を訪ねてくるというのはよくあったようですけれど、あれじゃあ密会にならない。
隣の人には筒抜けだよねえ? と不思議にも思いつつ見てました。
◾️物語の沼◾️
今回は道長さんとまひろちゃん、カンヅメにして執筆を急がせたい編集者と、こんなところで執筆なんかできるか、と主張する新人作家のようだと面白がっていた人々多数でしたね。
実際、そういう感じなんだろうなあ。
個人的に一番「そうですよねえ」と頷いたのは、一条帝のお言葉でした。
「あの書きぶりは、朕を難じておる(=非難している)と思い、腹が立った」
「されど次第に、そなたの物語が朕の心に染み入ってきた」
そう! そうなんですよ!
そういう物語ってあるんですよね。
読み始めたとき、あるいは最初に読んだときはあまり興味もなくて「ふーん」という感じだったのに。
本を置いて二日経ち、三日経ち、……数日経つうちに、なんだか妙に気になってくる。
興味もなく読んだはずなのに、そのうちの一文や、登場人物の言葉が脳裏に浮かんで、ハッとする。
なんだかじわじわ気になってきて再読すると――印象がガラリと変わっている。
人との出会いと同じかもしれませんね。
一目惚れをするよりも、ある意味、インパクトが強く、深度もある。
最初は何気なく過ごしたものが、なぜか、数日、あるいは数ヶ月かもしれない、もっとかもしれない、時間が経つうちに、何かが心のうちに浮かび上がってくる。
「そのまま」寝かしておくと、熟成していく食べ物のように。
何気なく読んだその時点ですでに、何かを受け取っている。
それを表層意識は認識していないけれど。
時間が経つうちに、心の深い場所の、暗く静かな土の中で種子が芽吹き、表面に二葉が現れる。
本――というか物語ですね、そういうものとの出会いにも、そんなことがある。
経験上、そんな場合のほうが、より深く物語の中に入り込んでいける。そんなことが多い気がします。
帝のお気持ちも、そんなところにあるのだろう、と思い。
「〝沼〟へようこそ、主上」
と、一人でニヤニヤしてました。
本好きの人、物語好きの人には、今回のドラマ、「わかるわ~」ということが多い気がします。
懐かしの「ネバエン」こと映画「ネバーエンディングストーリー」の感覚を思い出すなあ。
(原作の邦題は「はてしない物語」)
◾️野辺の若草◾️
ドラマの筋書きそのものにおいては大きなものではないけれど、久しぶりに思いっきり心臓を撃ち抜かれたエピソードがありました。
宿下りして約束通り、源氏物語の続きを書きあげ、帝の、藤壺へのお渡りを実現したまひろちゃん。
それへ、「褒美だ」といって、道長さんが渡したもの。
細長い木箱で、なんだろう? と、私ども視聴者も、まひろちゃんの背後からのぞき込むような心持ちでした。
そこへ現れたのは檜扇。
それをはらりと開いて、扇面の絵を見たとき。
ひゃー! と変な声が出そうになりました(笑)
三郎さんとまひろちゃんの出会いの場面!
まだ幼い二人の、運命の出会い。
二人の衣装までもが細かく再現されているので、道長さんの記憶力どんだけ、と感心している感想もお見かけしました。
もちろんそれは視聴者にわかりやすくするためでもあったでしょうが、道長さんはそれほど今も鮮明に、当時のことを記憶していると思うと、たまりませんでしたねえ。
もはやロマンスの関係というよりは、政治的な利害を共有している、なんとも現実的な関わり合いになってしまった二人だけど。
それでも、自分はまひろちゃんとの出会いを、その時の思いを、「そのまま」今も持っている、と、この上もない形で示した贈り物でした。
ふだんはネタバレをしないために、BSで「光る君へ」を視聴しても、感想等はいっさいSNSへ投稿などもしないのですが、今回ばかりは! 思わずポストしました。半ば錯乱しながら(笑)
道長さんからまひろちゃんへの最初の恋文――和歌が苦手だという彼がそれでも懸命に詠んだ歌――「恋しき人の見まくほしさに」以来の、思わず床の上を転げ回るほどの衝撃の萌えでございました。
ごちそうさまでした(笑)
◾️心にひそむ言葉◾️
今回、おや、と思ったのは。
中宮様こと、彰子さんの、まひろちゃんに対する態度でした。
他の人には伝えないことを、あっさり、まひろちゃんに明らかにする彰子さん。
まひろちゃんの方から、あれこれ働きかけてのことではありません。
なので、「えっ」と思ったんですね。
こういうとなんですが、まひろちゃんも、分類するなら「陰キャ」タイプでしょう。
彰子さんは陰キャとも違うけれども、とにかく奥ゆかしい。自分が本当はどんなものが好きなのかすら、周囲の人に知らせない。
好きなものがないのではない。
ただ言わずにいる。
好きでもない色の衣装や小物を押し付けられて、さぞ不本意なのでしょうに。
でもそれを藤式部にだけはそっと伝える。
これはわたしにも経験あるのですが、物言わずとも、最初にぱっと顔を合わせた瞬間に、「あ、この人は」と思うことがあるんですね。
この人には、伝えても大丈夫。
この人には心を開いて大丈夫。
そう直感することが。
同類というのとはまた違うかもしれないけど、彰子さんはまひろちゃんに、そんなことを感じているのかもしれない。
そしてまひろちゃんも勘の良い人ですから、
「表に出ない言葉が、たくさんあるのかもしれない」
「それを聞いてみたい」
――彰子さんを「認めた」瞬間でもあったでしょう。
彰子さんとまひろちゃんの交流が今後どうなるか。
それも楽しみになってまいりました。
奥ゆかしい彰子さんにしてみれば、実の母親さえ「グイグイくる」人なのかもしれず。
まひろちゃんのように、陰キャだからこそ「静かに待ってくれる」「耳を傾けてくれる」人が、彰子さんには必要だったのかもしれませんね。
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