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生きる意味と前向き


 毎日毎日、どこへどうロープを掛ければ「効率的」に終わりにできるだろうかと考えているような時期がありました。
 そんなころ、皮肉でもネガな感情でもなしに、純粋に——小さな子どもが「なぜ空は青いのか?」と思うような素朴な感覚で、疑問に思ったことがありまして。

「前向きにっていうけど、前ってどっちだろう?」

 人生前向きに。
 辛いことや悲しいことがあっても、前向きに。

 よく聞くけど、それ、具体的には何を意味してんの?
 という疑問ですね。

 ここでいう「向き」というのは実際上の空間の方角のことではないですからねえ。
 気持ちや心持ちの「向き」?

 そんなこと言われても全然わからん。
 
 強いて他の言葉に言い換えれば「ポジティブに」になるだろうけど、だから、そのポジティブって具体的にはどんなものなのよ?

 これを考えてほんっとに途方に暮れていたことがありました。

 そのうち、ロープの掛け方ばかり考えるような日々もだんだん楽になっていきました。
 その間も、その疑問は、消えたり弱まるようなことはなかったんですよね。
 いつも頭の片隅で、ひそかに、その響きが聞こえ続けていました。
「前向きとは何のことか?」

 皆様でしたらどうお答えになるでしょう?
 具体的に言葉で指し示すとしたら?

 最近になってふと思ったのは、「前向き」とは、
「自分がラクになる考えを採用する」
 ってことなんだな、と。

 どういう考え方をせよという話じゃなくて、「自分の心を明るく、軽く、ラクにする」考え、アイデアなら何でもいい。
 目的は心を軽くすることです。
 なので、そのためにはこういうことを考えましょうとか、こういう考え方をしましょうという話ではないのですね。
 
 自分にとって、もんんんんのすんんんごい都合のいい考え方をすればいい。

 本当になんでもいいです。
 公序良俗に反することでも、内心自体は自由です。
 社会の規範も常識も、親きょうだい、親戚の意見も利益も関係ない。
 他人に向けて公表したら大問題になるようなことだとしても、自分が内心で何を思うかは自由です。

 その自由の中で、自分がラクになれる考え方を探す。
 自分の気分がラクになる、できるなら気分が上がる、ってところまで行けたらベストだけど、まあ、そこは無理しない。

 お金が出ていってしまってやだなあと思うと落ち込みますよね。
 でも、これが「幸運の兆し」かもしれない(実際そういう教えも世の中にはある)、と思うとふわーっと心が明るくなるならそれでいい。

 わたしは仏教的な観念が強い人間なので、毎日ロープのひっかけ場所を探しているこの辛い体験も、これで、過去の「罪」が解消されているのかもしれない(因果応報論ですね)と考えれば少しは気楽になれた。
 これが大事でした。

 過去の〝悪い〟行いの報い(つまり罪に対する罰)がこの苦しみであるならば、その罰を受ければ自由になれる。身軽になれる。
 今は辛いけれども、このあとにはきっと「いいこと」がある、と。

 例えばそんな考え方。

 もっと世俗的に、この辛さを乗り越えたら成長できて、すごく素敵な人との出会いがあるはずだ、とか。

 本当になんでもいい。
 都合のいい妄想でいいんです。

 人が生きる意味ってなんだろう、という疑問はよく聞くけど。
 正直、生きること自体が意味・・・・・・・・・・なので、生きる意味ってのはないなあと思います。
 生きているだけで十分。
 呼吸をしているならそれだけでえらい。
 そういうことです。

 あなたはそこにいるだけで、あなたという存在の「意義」をまっとうしている。

 心を軽く明るくすることがなぜ大事かというと。
 そこに「生気」が生まれるからなんですね。

 生きること自体が尊いことだとすれば、そのエネルギーを生み出すことって素晴らしいことだとわかる。
 このエネルギーを生み出すものが、「前向き」(の考えや行動)ということでしょう。

 人生前向きにという言葉は、
「生きているといろいろあるけど、それでも生きるエネルギーを作って生きていく」
 ということ。

 そのように考えています。今は。

 前向きにっていうけど、ずいぶん漠然としすぎじゃない? 具体的には何をしろというのか?
 と、やさぐれて思ったこともあるけど。

 生きていること自体が素晴らしいんだから、その生きている時に起きてくることもまた、じつはどれも素晴らしい。
 とてもそうは思えなくても「実相」として。
 その素晴らしさを拾っていく。
 それが「自分を生かす」ことでもある。

 だから具体的にどんな考え方をすれば楽になれるか、心が軽くなるか、このことがこの先どんなふうに展開したら嬉しいと思うか。
 それは個々人で違う。
 だから「前向きに」なんてざっくりしたテキトーな、「いい加減な」言葉になるんだな、と思いました。

 今の時点では悲劇でしかないことも。
 あとになってみれば、なるほどこういう「いいこと」のためだったとわかる日が来る。

 そういう「設定」をすること。
 それをまるごと自分に対して許すこと。
 このこと自体が「都合のいい妄想」=「前向きさ」かもしれません。

 どんな設定をしたかは、人に話してもいいし自分の胸に秘めていてもいい。

 そんなことはあり得ないとか、他人に言ったら笑われるとか、そういう「制限」は取っ払っていいんです。
 そういう制限が、今の苦痛を作っているだけという場合も少なくない。

 自分の内心のことだから、誰からも監視も非難もされないのですから。
 自由に。
 どうか、軽やかに。

 わたしはわたしなりに、そんな答えを見つけ出せたこと。
 本当に良かったなと思うこの頃です。


 
 

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