【連作短編】探偵物語日記④〜山男は歩かない〜
生ぬるい雨がフロントガラスにぶつかって落ちる。壊れたカーエアコンは溜息のような風しか吐かない。
俺は雇われの身だ。職業は探偵、個人営業主ではない。所謂、サラリーマンだ。会社には申請していないが、俺には霊が視え、時には会話する、所謂、霊能探偵ってやつだ。
春とも冬とも言えない湿気に満ちながら、若干の肌寒さを残した中途半端な季節の夜10時、俺は車を運転していた。黒いデカい車を。こんな居心地の悪い夜くらいは仕事を忘れてドライブをしたかった。
「ラジオを消してくれませんか」
助手席の男が不機嫌そうに話しかけてきた。確かにザラついた音で殆どノイズだったが、無いよりはましだったので消さずに音量だけ下げた。
客のクセに横暴なヤツだと思った。しかし、彼から金をとる訳にはいかないので客ではないだろう。
男を車に乗せたのは細い山道だった。男は登山をしていたらしく、道に迷い、夜になってやっと、この人気の無い道に抜け出したらしい。
「夜のドライブですか?」
男は再び口を開いた。
「まぁね。アンタは登山が趣味?」
「まぁね。生き甲斐に近いですね」
山男はみんなそう言うのだろうと思った。
それから、何度かやり取りを繰り返した。返ってくる答えはどれも容易に予想がつくものだった。ヤマビコのように。
「そう言えば行き先を伝えてなかったですね」と男は申し訳無さそうに言った。
「構わんよ、しばらくは一本道だ」とおれな返すと、男は「そうですか」と言って深く座り直し、話を続けた。
「息子がね、帰りを待ってるんです。今日が誕生日なんです」
男は前を向いたまま表情こそ変えなかったが、声は少し上ずっていた。
「着いたな」男が言う。
「あぁ、着いたな」俺が返す。
俺は細い山道、もとい参道を進む。
「ご苦労さん」
山門をくぐり、寺の境内に車を乗り入れると背の低いヨーダみたいな和尚が出迎えた。この和尚は俺が子どもの頃からずっとヨーダみたいな爺さんだ。そろそろロボットになってるんじゃなかろうか。
俺は車の後ろに回り込み観音開きの戸を開け、白い棺を引き出して、その中に入っている男の顔を和尚に見せてやる。
「おぉ、ええ御顔じゃ。御霊が迷っておられたでな、お前さんに迎えに言ってもろうて正解じゃったわい」
和尚はカッカと笑いながら俺にしわくちゃの紙幣を握らせた。
探偵社の休業日、またの名を"依頼人が来ない暇な日"には馴染みの寺のでバイトをすることもある。今夜は霊柩車を運転して山を彷徨う男の御霊とやらを拾いに行った。霊柩車を葬儀屋まで返しに行くまでが俺の仕事だ。
運転席に乗り込み、先程まで男が座っていた助手席を見やると、じっとりと濡れていて、まるで雨が降った時のような湿った土の匂いがした。
心霊体験としてはあまりにベタな落ちだった。それに掃除するのは俺なんだぞ。
俺はラジオの音量を上げ、再び夜の闇に車を走らせた
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