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【短編小説】雨宿主

大工の亀吉は村外れの寺の修繕を終え、のんびり帰る道中だった。サワサワサワ。笹の葉が風と雨に揺れる音がする。
生暖かい風が背を押すと同時に雨が亀吉を濡らした。初めこそ温く優しい雨だったものだから、濡れながら歩けばいいと呑気に歩いていたが、次第に雷が轟き冷たい大粒の雨が降り出した。
風邪をひいては困ると、走り始めたが亀吉の住む長屋まではまだ遠く雨に打たれて走るのでは息も続かない。ふと、今朝、寺までの道中の斜面に洞穴に祀られた祠があったのを思い出した。あそこなら、雨宿りができないだろうかと考えながら走っていると、まさにその祠が見えた。

洞穴はニつ、まるで鼻の穴のように並んでいた。
「はて、二つもあっただろうか」と亀吉はぼやきながら祠に手を合わせ、ちょいと雨宿りさせてもらいますよ、と心の中で唱えてから小銭を三枚ばかり小さな賽銭箱に入れた。


洞穴の中はひんやりしていたが、冷たい雨に濡らされるよりましだった。

ジャリ。ジャリ。ジャリ。
砂を食むような音に亀吉は身構えた。
ジャリ。ジャリ。ジャリ。
「旅の御方ですか」力のない、老婆の声。
亀吉は先程とは別の恐怖を感じていた。

「いや、俺はちょっと雨宿りにな。婆さんもかい?」

ややあって「えぇ、急な雨に降られたもんで、困っておりましたところ、こちらの祠で……」
ジャリ。ジャリ。ジャリ。
足音が亀吉の方へ近づいてくる。老婆の姿に亀吉は後退りした。
裸足で着物は所々破け、長い髪は黒と白が入り混じり絡まり顔がはっきり見えないほどに乱れていた。

「おい、婆さん。大丈夫かい?」

「はぁ、急な雨に降られたもんで………」

調子の合わない会話に違和感を覚えながら、この婆さんに害はないだろうと、腰を下ろした。

雨宿りで出会った老婆は「暇潰しに」と昔話を始めた。

「あたくしは、元は歩き巫女をだったんでございますよ」聞いてもいないのに老婆は語り始めた。まぁ、雨が止むまで暇なので聞いてやることにした。
「まぁ、歩き巫女と申しましても若い方は知らんでしょう。色んな土地を占いをして回っては日銭を稼ぐんてございますよ。若い頃は、そりゃあ占いだけじゃあなくって、色んなコトをしましたよ」
若い娘の頃なら、客の手をとり何てことない占いをして、場合によっては"占い以外のコト"でも稼げただろうが。こんな婆さんになっちまっては、哀れなもんだ。と亀吉がぼんやり考えているのも気にせず話を続けていた。
「花が冬には枯れてしまうように、若さってのは急にどこかへ行ってしまいます。最後の男もあたし捨ていきました。食うものもなく、ずっと辛かった。呪いました。あの男を呪ってやった……」

「それで、あんた、どうやって今まではくらしてたんだい?」亀吉はたまらず尋ねた。
「はぁ、急な雨に降られたもんで………」

あぁ、もうろくしてらぁ。と、うんざりしながら外を見やると、そこは外ではなく、暗く続く洞穴だった。亀吉は、はっとして立ち上がり何度も前後を交互になんども振り返った。後ろも前も、ただ、一本に続く洞穴の暗い道だった。

ジャリ。ジャリ。ジャリ。
「急な雨に降られたもんで…………ここに捨てられて……あの男を……この世を呪っておりました、……この暗い暗い……出口の無い……暗い穴で……」
ジャリ。ジャリ。ジャリ。
気づけば老婆は亀吉のすぐ近くまで迫っていた。そして、ジャリッと少し強く地面を蹴り、亀吉に抱きついた。そして亀吉を見上げた。
「ひいっ」そこにあるはずの目玉が二つとも、老婆の顔には収まっていなかった。

「人を呪わば穴二つと申しましょう。でも、この暗い穴ぐらの中では要りませぬ」

「……やめろ!!」
 亀吉は老婆を払い除けようとしたが、めり込むように老婆は亀吉を離さない。

「あたくしを買ってくれたんでございましょう」
 その言葉に亀吉は、息を飲んだ。
 あの賽銭だ。

「ちっ、違うんだっ!!」

亀吉の言葉に構わず、老婆は洞穴のような二つの暗闇で見つめなが体にすがりついてくる。

「あ、あ、あああああ!!!」亀吉は叫んだ。
(ぁ、ぁぁぁぁぁ………)亀吉の小さな声が叫んだ方とは逆側から帰ってきた。


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