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まだまだかぶはぬけません

助けるとか、救うとか、そういう言葉が口から出そうになるとき、一度「うっ」と喉が絞まる。でも、その場に必要なら、仕方なく絞り出す。仕方なく。

助けるとか、救うとか、そういう言葉って、上から下に差し出される手が想像されるのだ。それがとても嫌だ。その上下、が嫌だ。

自分はそう思ってるんだなぁ。とスマホのTwitterアプリを指ですくいながら知る。寝室の布団の中、子どもらが寝るとなりのベッドで、光を最小にして羽根布団をかぶり、横向きになって画面をぼんやり見ていた。

思えば誰かに助けられたり、救われたりするのが嫌だった。かっこわるいからだ。大学の前の片側1車線の横断歩道の真ん中でしっかりとコケたとき、誰にも声をかけられたくなくて、それまでよりも速くドンドコ歩いて門をくぐった。恥ずかしいじゃん。

思わぬ瞬間で手を差し伸べられる側になるのが嫌だった。思わぬ瞬間というのは、自分が助けをお願いするのは平気だからだ。道を尋ねたり、仕事をお願いしたり、そういうことはできてしまう。それは自分由来で他人から受ける優しさだからだ。他人由来の優しさを受けてしまいそうなとき、例えばコケたときなんだけど、そんなときの地面はわたしの下だけ凹んでいて、水があったらきっとどんどんわたしの足元に流れ込んできてしまう。早くそこから抜け出そう、と思って、足早に立ち去るのだけど、そんな自分もちょっと嫌。

自分がそんなもんだから、コケた人には声がかけられない。気になるけど。とても気になるけど。

外から猫の声がする。きっといつも駐車場にいる猫か、その兄弟か。とっても似てる猫が数匹いて、兄弟のようにくっついたり喧嘩したりして、仲良くしてるのだ。

猫の声を聞こうと耳をすますと、聞こえてきたのは子どもふたりの、ふーん、という寝息だった。あと、夫の咳払い。うちの夫の咳払いはまじで音がでかいのでリビングから長い廊下を越えて寝室にまでうっすら届くのだ。そしてその背景に、空気清浄機の音ともいえないような音がする。存在を消して働いています、という音。

加勢、がすきだな。と唐突に思いついた。
かせい。助けるとか救うとかじゃなくて、加勢なら、いいなと思う。

まさに、おおきなかぶ、のイメージだ。まだまだかぶはぬけません。だからどんどん人がやってくる。犬までやってくる、んだったよね。

同じ方向に力を込めるのが好きだな。助ける、救うって立ち上がるときに結んだ手を起点にして、お互いを引っ張り合うでしょう。わたしはその役目は担わなくっていいや。それは誰かに任せる。わたしはやっぱり、加勢がいいな。

ああ、だから駅の階段で大きな荷物にふうふう言う人には気軽に声がかけられるし、双子を連れて歩いていたときにドアを開けて待ってくれた人のことを忘れないのだ。わたしが受けた優しさは加勢、だったんだあれは。

おおきなかぶがぬけないとき、いつだって加勢できる自分がいいなと思う。そういうことを考えていたらスマホの画面はいつの間にか暗くなっていて、そのまま電源を切った。

おやすみなさい。夢の中で、おおきなかぶをぬくために、加勢したいな。

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