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海から来ました。(エッセイ)

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エッセイと写真。
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#日記

アフリカゾウにも、ラッコにもカナブンにも

自分の書いたものに悲しみの雰囲気があることを嫌だと思ってきた。 けど昨日初めて、こんな自分でよいのではないか、と思えた。 岸政彦さんがTwitterで紹介していた本、 カート・ヴォネガットについて書かれた「読者に憐れみを」を読んでいて、思わず線を引いた場所がある。 ヴォネガットの文章にただよう悲しい雰囲気について彼が語った部分だ。彼は「子どもの頃から悲しいことがいろいろあったから、それがわたしの作品の悲しい感じと関係があるんだろうね」と言っていた。悲しい雰囲気の文章を書いて

愛だから

好きなものについて語れますか。わたしはカマキリが好きなんだけど、それについてあなたはどう思いますか。 *** いや、どう思っててもいいんですけどね。 夕方のリビング。視界の正面には窓があって、座ってても少しだけ、海が見える。残念なことにうちのマンションのガラスには黒いワイヤーが入ってるから、座ったまま見えるガラス越しの海は、実物というより壁紙みたいだ。3日前に物置部屋からひきずり出したこたつは夏用のテーブルより高さがあって、パソコン作業には不向きだった。しばらくキーボー

おとこをみつけた

仕事を終えて、保育園に向かって歩く。迷わず海沿いへ続くドアに手をかけた。足取りは軽い。晴れているけどそう暑くもない。眼前の海の湿った存在感に反して、髪をすすぐように向かってくる風はさわやかだった。 いつもより少し早く迎えに来ただけなのに、わたしの顔を見た双子は「おかーちゃん!」と跳ねて喜んだ。 靴をはいてリュックをしょった二人は、園庭で、上手になったという鉄棒の技を披露してくれる。「見て!ほら!」という声も表情も、わたしを安心させる。二人がこの園に入れてよかったと何度も思

伏せたまつ毛の

初めて何かを体験する、というとき。その瞬間の眼差しの美しさを昨日感じた。 わたしには3歳の双子のむすめがいる。喋り、考え、泣いて、踊る。そういう二人の子どもがいる。昨日はお迎えに行った帰りにいつも一個だけ食べるグミが切れてしまい、コンビニへ行った。 コンビニへ子どもを連れていくのは、少し億劫だ。まず、車から二人の子どもを降ろすのが最初の手間だ。チャイルドシートのシートベルトは冷え切った手には固い。ドアの外から「おりといで」と言ってもすぐに降りてこないことも多い。運転席の横

火花散る、角膜。

海沿いに引っ越して2ヶ月半が過ぎた。子どもたちは保育園に通い、夫は自宅から都内の会社にリモートで働き、わたしはというと専業主婦状態にある。 十代のわたしが知ったら言葉を失うだろう。多少賢い高校を出て、国立大学に入ったわたしが専業主婦?呆れてものも言えない。そう思うだろう。 それは昨年末、母の「大学まで行かせたんだから働いてほしい」という言葉ににじむ価値観そのまんまだ。 今のわたしは、毎日を以前より幾分か丁寧に暮らしていて、外部からの刺激や他人との衝突も減り、穏やかだ。多