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2021年3月12日 WAITRESS しあわせのパイ

私鉄のように改装が頻繁ではない東京メトロ。歴史を感じる日比谷駅A13の出口を出てすぐの日生劇場。
貝殻が埋め込まれたドット模様が印象的な高い高い天井、洞窟のような曲線の続く壁面、サーモンピンクとオレンジを合わせたような彩度を抑えた色のシート。舞台の世界を楽しむためだけに作られた贅沢な空間は、その場に足を踏み入れただけで気持ちが高揚してしまう。

昨年の秋、テレビで見て楽しみにしていた「ミュージカル ウェイトレス」。

無事幕が上がり無事観に行くことが出来る嬉しさを噛み締めながら、一年前のこの空間に思いを馳せながら、開演の瞬間を待った。


まもなく開演、のアナウンスの時、劇場では聞き慣れないベルの音。リーンともチーンとも聞こえるそれは、面接で与えられた時間を過ぎた時に面接官がポンと上から押してチンと鳴るあのベルの音。幕が上がるとすぐにそれはパイが焼き上がったことをウェイトレスに知らせるベルの音だと気付く。



ダメ夫の束縛から逃避するように自由なパイを作り続けるジェナ(高畑充希さん)、オタクの自分を受け止めてくれる出会いを探し続けるドーン(宮澤エマさん)、姉御肌でいつも明るく頼れる存在で、でも病気の夫の看病を抱えているベッキー(私が観た回はLiLiCoさん)。どこか遠い世界の美しい物語ではなく、私の毎日と地続きの、ドア一枚隔てたすぐ隣の世界の話だった。


互いに若く、寄り添うしかなかった過去はもうはるか昔のことで、夫が荒れないように自分の気持ちを手放し諦め自分で自分を麻痺させるジェナの毎日。そんな中でも望まぬ現実はやってくる。妊娠は嬉しくないけど産む、彼女はずっとそう揺るぎなくあった。
上の子を妊娠した時のことを思い出す。私の場合望んでなかったわけでは決してないのだけれど、いざそうなったら嬉しいだけではない、得体の知れないものが来てしまって逃れられないような気持ちだった。宿った命を育て産み出すこと自体は揺るぎないことだけれど、その先にあるのが光なのかどうかはわからない。自分の毎日は何も変わらず続いていて、そこに寄生した命。私の中を間借りして勝手に育っていく命。大変なものがやってきてしまった、そんなことばかり考えていた。
それでも、その命が育ちその時を迎えこの世に出てくると、世界は一変、この小さな命のためならなんでもできると思った、私に何でもできると思わせる力そのものだった。ジェナもきっとそうだったんだ。

可愛らしいオタクのドーン。宮澤エマさんの高い声と白い肌、アラレちゃんみたいな大きなメガネが役にピッタリだった。
彼女(の、おそらくSNS)にメッセージを送り運命の出会いだと強引に(大いにしつこく)彼女を取り込もうとするオギーを演じていたおばたのお兄さんの身体能力の高さには驚かされた。
あんなに飛んでくるくる回って、コミカルなダンスにアクロバット。歌も歌っていた。そして観ている人の笑いを誘う、オギーの人と異なる独特のタイミングのズレのようなものが台詞と歌と動きに盛り込まれていた。コメディを演じられるってすごい!と幕間にピロティに出て彼が何者なのか検索してしまったほど。オギーである素質を持ち合わせていてそこに訓練を重ねてこの開幕を迎えられたのだろうなと思うと、心からの拍手を届けたい気持ちでいっぱいになった。

LiLiCoさんのベッキーは、あけすけで動じなくて、抱えた現実と今の自分これからの自分を図りながら、ユーモアに救われながら、若い友達に愛を注ぐスカッと気持ちのいい人だ。暗く捉えようとすればいくらでもそうできる状況でどういう選択をするか、自分のために何を選んで何を捨ててバランスを取るか。これからってこういうことなんだろうなと思わずにはいられなかった。

ジェナと不倫関係になってしまうポマター(宮野真守さん)、ジェナの束縛夫アール(渡辺大輔さん)、それぞれの役を魅力的に演じられていた。彼らはジェナの人生のエッセンスであるけれどそのものではなかった。ジェナの人生がそのくらいの力強さを持って動き出す清々しさに、彼らの印象はサラッとさりげないもので終わってしまった、というのが正直なところ。


高まる感情を乗せた声が心を揺さぶる高畑充希さんの素晴らしい歌。細くちいさい身体から発せられるあんなに力強い響きは彼女の魂そのものなんだろうと思いながら、何度も涙が勝手に溢れた。
ストーリーの終盤で歌われる「She Used To Be Mine」、隣で観ていた方も反対の隣で観ていた方も、もちろん私も、みんな泣いていた。この歌終わらないでと思っていた。昨年秋のテレビでは英語で歌っていたな、春馬くんと英語を勉強していた高畑さん、英語で聴きたかったな、などという贅沢が頭をよぎる。


個々にそれぞれのものを抱えながら、見据える先にあるものの形は違えど、それぞれにしあわせを求めて、寄り道しながらつまみ食いしながら奮闘するストーリーは爽快だった。何気なく蒔いた種が後にきちんと花を咲かせるような嬉しさもあった。

舞台の背景は、屋内のシーンであっても(ある一つの部屋のシーンを除いて)ずっと一貫して青空が映し出されていた。彼女たちの未来を象徴するかのような、時に青く、時にピンクがかった美しい青空だった。


帰り道、地下鉄の乗り換え駅で一旦降り寄り道をした。
たくさんの気になるものの中から、ファンファーレという名前も香りも華やかなフレーバーティー(の茶葉)を選ぶ。
ジェナたちの未来が、繋がりのある人たちの未来が、好きな人の未来が、私の未来が、華やかで明るいファンファーレに包まれますように。
素敵な歌に、希望ある結末に、いい香りの紅茶に満たされて足取り軽く家路を急いだ。


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