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2021年6月6日 ピサロ千穐楽

初演の稽古開始2020年1月31日から実に493日。昨年の初演と今年の再演を合わせて36公演、ピサロの旅が終わりを迎えた。
今も緊急事態宣言下であり、決して状況は楽観できるものではないけれど、その中で20日間無事幕は上がり続けた。
朝目覚めると、よくない知らせが入っていないか確認し、ひとまず今日の、目の前のひとつの無事を祈る、去年の上演期間から習慣となったことだ。昨年は本当に数時間先のことすらどうなるかわからない、得体のしれないものに侵食されていくようだったけれど、今年は、当たり前ではないと言い聞かせながらも、昨年よりは先を見通せる距離が長く取れていたように思う。どんな気持ちでいるのかな、公演期間全体の位置を確かめながら、状態を想像して無事を祈る毎日だった。

今日の千穐楽を迎えることは、長い期間関わる全ての人の悲願であり、万歳で迎えられる喜ばしいこと、なのだけれど、今日が終わったらもう再演の理由はなくなり、もう二度と渡辺謙のピサロと宮沢氷魚のアタワルパを見ることが出来ないのかと思うと苦しくもあった。
それでも、今日はやってくる。刻々と時間は過ぎる。
家族の昼ご飯を用意し、化粧をしチケットを持ち着替えをして出発に備える、やらなければならないことはそれだけなのに、そわそわと手につかず、やたらと時間をかけて準備を進めた。

休日の渋谷は人が多い。今に始まったことではないし、自分も渋谷が普段の生活圏内ではないから文句なんて言えないけれど、こりゃ観劇を諦める人もいる訳だ、と変に納得しながら人の波に乗ってPARCOを目指す。
もう何度か観劇しているし、席の場所もわかっているし、チラシも目新しいものに更新されてもいないだろうし、と上演30分前に着いたけれど8階の劇場に行く手前の5階でエスカレーターを降りスターバックスに立ち寄った。これまでも観劇の前に利用させてもらったことがあるが、スターバックスの店員さんはいつも親切だ。レシート持ってきてもらうとおかわりが安くなりますよ、だとまあマニュアル通りの親切さだけど、PARCOのスタバの店員さんは「この店舗じゃなくても使えるんですよ、ご存じでしたか?(ニコっ)」と教えてくれる。選んだパンを渡してくれる時「これ私好きなんです、美味しく召し上がってくださいね(ニコっ)」と言葉を添えてくれる。
これから楽しみが待っている気持ちも手伝って、なのだろうけど、そのやさしさに私はすっかりPARCOのスタバのファンになってしまった。

親切に渡していただいたパンとアイスコーヒーで一息ついて、開演15分前、そろそろ楽屋では円陣を組んで今日の無事を祈っているだろうなと、いう時刻になりいよいよ8階へ向かう。
今日は待ち合わせと思われる人がホワイエにたくさんいる。昨年の公演グッズのTシャツを着ている方を見ると、私は目に見える応援グッズを携えて行くことはしていないけど、「私も昨年から応援し続けてます、今日を迎えられて幸せですね!」と勝手に同士の気持ちになり、心でハイタッチを交わしながら席に向かう。上手も下手も見渡せて、俳優さんのメイクまでよく見える嬉しい位置の座席に座り、シートの下に荷物を収め、幕の向こうの世界を想像する。幕の向こうから、階段状の舞台装置の上を歩くギシギシという音や小さな咳払いが聞こえてきて、あぁ、これは劇場でしか感じえない瞬間だ、と鳥肌を立てながらその小さな音に耳を澄ます。

何度か観ることができ、昨年WOWOWで放映されたものの録画を観ることもできる、それでも、幕が上がりその先にある光景が目に飛び込んでくると息が止まり目が離せなくなってしまう。客席に背を向け立ち、父なる太陽のまばゆい光に包まれるアタワルパの姿は一瞬にして私をピサロの世界にいざなう。そこから老マルティンの語り、外山誠二さんの心地よくも力強い声で、私をその中に招き入れたピサロのドアはしっかりと閉じられる。

ピサロに出演されている俳優の方々は聞き惚れてしまう声の持ち主が多い。老マルティンの外山誠二さん、アタワルパの氷魚くんはもちろんのこと、副隊長デ・ソトの栗山英雄さん、修道士デ・二ザの窪塚俊介さん(初演では亀田佳明さんだったのだけれど、亀田さんも窪塚さんも同じトーンの慈愛に満ちた声だった)、小姓マルティンの若い日を演じる大鶴佐助さんが発することばは強弱が自在に操られ心に直接届く。国王代理のエステテ(金井良信さん)、砲兵隊長のデ・カンディア(下総源太朗さん)は、いずれもちょっと憎たらしく威張ったりピサロを軽んじたりするのだけれど、声量があって発する声と抑揚・テンポがぴたりと合ってちょうどいい憎たらしさ加減だった。
デ・カンディアの、相手を馬鹿にしたような「ハハハ」と「ガガガ」の間の乾いた笑い声や、戦いを前に冷静でありながら逸る気持ちがにじみ出る「任せてください!」はとても素敵だった(デ・カンディアは片耳にだけ飾りをつけ、フェンシングの選手のようなフォームで刀を捌く。寄せ集めの兵士を一喝する場面では思わずドキリとしてしまう迫力。観劇を重ねる毎にその姿と声に魅了されてしまった)。
老マルティンが情景を語ると、その描写と声で見えないはずの景色が見えてくる。万年雪を抱くアンデスの荒々しい山、森を抜け眺めた美しいインカ国、戦いの前夜寒さと恐怖が覆いかぶさる野営の様子、思わず目を閉じ、耳から入る音とことばで瞼の裏にその景色を見る。

もうこれが見納めか、という気持ちがフタをしても、何度も抑えようとしても涙と共にあふれる。しっかり目に焼き付けたいのに、涙で視界はぼやけコンタクトレンズは曇る。稽古から本番に入っても「ここはこうかな」と日々ブラッシュアップしてきたんだろうなと、それも今日でおしまいなんだなと思ってしまって、今日はもう一貫してダメだった。
何度か観ていると気が付く台詞の淀み、珍しくというか氷魚くんのそれは初めて1か所、謙さんは気持ちが高ぶってのことと思うけれど数か所、あったように思う。
舞台でのそうした「今回だけ」感、ちょっとしたアクシデントも阿吽の呼吸というか、目くばせ一つでリカバリーするすごさを観ると、劇場で観れてよかったと心から思う。その日その時だけの時間を共有していることに血が巡った思いがするのだ。

涙で霞み続けた3時間が終わり、最後のカーテンコール。1回目から客席はスタンディングオベーションだった。壇上のみなさんの充実の笑顔が見えて、ここでもまた泣いた。謙さんに促されてスタッフや劇場関係者への感謝の拍手を送る、壇上と客席の区別なくあそこにいる全員の思いがひとつになった。3回目のカーテンコールが終わり、退場の案内のアナウンスが流れ始める中、4回目としてまた並んでくれる。謙さんが「飲みの誘いも断って…断ってたよなぁ?」と笑いを誘ってくれて客席は泣き笑いになる。みんなで手を繋いでお辞儀、お互いを称える拍手、みんなでゴールテープを切ったようだった。今私たちピサロをピサロを終えた充実を最大限に共有している…!一度引っ込んだ涙がまたあふれた。

一つの舞台作品にこれほど思いを込めたことはこれまでなかったように思う。今は素晴らしい時間を過ごせた充実と感謝、終わってしまったさみしさで整理がついていないけど、始まってしまえば終わるだけ、さらっとさわやかな余韻を残して離れていく。
何度も思い出して、何度も心で拍手を送る。
「ピサロ THE ROYAL HUNT OF THE SUN」、誰も見たことのない黄金と滅亡の物語。出会えて、共に思う時間を過ごせて幸せだった、ありがとうピサロ!


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