記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

2020年12月24日 クリスマスに願いを込めて

取っていたチケットの日程が中止になってしまったPARCOSTAGEの『チョコレートドーナツ』。
先日無事幕が上がり、関わる方の思いが繋がって本当に良かったと思いながら、どこかで観に行けたらと、日々自分と家族の予定と公演スケジュールとのにらめっこを続けていた。先日、運よく各所調整がつき当日券の縁も手繰り寄せることができ、観劇が現実のものとなった。

天井まである大きくて真っ赤な扉を通り中に入るのは3月末のピサロ以来。靴底を消毒し、検温をし手指の消毒をし、健康であることを証明して中に入る。久しぶりのPARCO劇場は少しコンパクトに感じだけど、1列ごとの効果的な段差で前の人の座高を気にすることなく舞台全体を見ることができる座席、手を伸ばせば届きそうな舞台との距離感、作品のロゴが映し出される緞帳、自然と期待が高まる。

***

谷原章介さん演じるポールの静かな怒り、憤りに満ちた台詞から始まる。どうしてこんなに苦しそうなんだろう。のちに繫がるその憤りの意味は、幕が上がったばかりのその時点ではまだわからない。


場面は一転し、東山紀之さん演じるドラァグクイーン、ルディの美しくて眩しくて圧倒的なショータイム。舞台上のルディのステージにかけられたキラキラと揺れるリボン状のカーテンの既視感に思わず涙がにじんでしまう。


ショーの場面の多くはリップシンクだったけど、本人の歌声もたくさんの場面で披露していた。長年エンターテイナーであり続ける迫力やセクシーさにルディの夢や孤独みたいなものが加えられた心に迫る歌声。思いを歌声に乗せることができる人、その人の声で包まれる空間にいられることが幸せだと感じる、そんな歌声だった。


私が観た回は高橋永さんが演じていた、ルディとポールに引き取られるマルコ。純粋で、触れる人にその温かさがまっすぐに伝わる愛そのものみたいな存在だった。もちろんそれは観ている私にも届く。「ママは、いつ帰ってくるの?」という台詞にドキリとしてしまう、きっとマルコの見返りを求めることのない愛はそこにも向かっていたのではないかと思ってしまったから。

裁判の場面では「普通」という言葉が何度も何度も繰り返し出てくる。
「普通」以外は「特殊」で、「特殊」であるということは子どもを育てる環境としてよろしくない、と。
映画『his』の裁判の場面でもおんなじやりとりがあった(堀部圭亮さんがそのままランバート弁護士を演じていたなら、hisの時と全く同じ。同じ台詞があったんじゃないかと思ってしまう位。ご体調の回復を祈っています)。

彼らのいう「特殊」な状況という要素が、判断を下すタイミングにおける決め手とならないことが「普通」、になる日の訪れを願う。
何かの本に書いてあってずっと心に残っている『子どもでいる時間は、大人に愛されるためにある』という言葉。そんなに簡単なことではないと思いながらも、決め手はそこであって欲しいと願っている。

そして、子どもの養育に関わらず「特殊」と区別することはなんら意味を持たないということ、それが「普通」になったなら、「普通の生活は夢」といろんなことを諦めて心に鍵をかけて生きていくのではなく、自分の求める美しさを好きなように好きな温度で表現し愛する人と手を取り合いながら生きていくことができる人が増えるだろう。マルコの愛を見たらそう出来る気になる、マルコの愛は背中を押してくれる。なんて私が思ったところでペラペラの薄っぺらい理想なだけなのだけれど。

物語は後半、一度手にした愛があれよあれよ失われていき、悲しい最後へと繋がる。そんな中一筋の光として最後にルディが歌う。スタンドからマイクを外して、聴く人の心臓を掴むように。歌い終え客席に背中をむけ舞台の奥へ歩いていくルディの背中は泣いていた。悲しさだけでなく、共に過ごした愛あふれる時間を大切に包む温かい涙が見えたようだった。

悲しいだけではないよね、と同じ思いで向かい合えている気持ちになれた幸せなカーテンコールだった。流れる涙も鼻水もそのままにずっとずっと拍手を送り続けた。東山さんのホッとした表情、谷原さんの大きな佇まい、マイヤーソン判事を演じた高畑淳子さんのチャーミングな笑顔、高橋永さんの可愛いしかない投げキッスが、ずっとずっと瞼に残っている。思わず隣の人とハグをしたくなってしまうような、ほぼ満席のPARCO劇場はそんなあたたかく優しい空気に満ちていた。
やっぱり観に行ってよかった、と余韻から現実へ戻るためにあるような外階段をゆっくり下り、ザワザワとたくさんの人が行き交う現実の渋谷に降り立った。


***

舞台の内容とは全然関係のないことなのだけれど、当日券の予約で9:00に指定のナビダイヤルに電話をかけた時のこと。
この状況だし、そうそう苦労せず繋がるかななんて甘い考えでいたら、全然繋がらない。かけてもかけても話中のツーツー音と混み合っていますのアナウンスが交互に流れて、やっぱり縁がなかったのかなと思いながらかけ続け、5分程で繋がった。
オペレーターさんに口頭で必要事項を伝えていく形式だった、何だか懐かしいなと思いつつ自分の名前を伝えたところで、再びあの忌まわしきツーツー音。繋がっていたのに?なぜ?と耳からスマホを離して画面を見ると通話が終わっている。
え?え?何?なんで?名前と枚数しか伝えてなかったから向こうからかかってくる可能性はない。ここまできたのに嘘でしょうと震えながら(ほんとに)、またツーツーとの戦いに挑む。20分くらい経過したところで、やっとまたオペレーターさんに繋がった。
まだ当日券は残っていたようで先程と同じ注意事項を聞き必要事項を伝えていく。名前を伝えたところで、実はさっき一度繋がったのに切れてしまって…とポロっとオペレーターさんにこぼしたら、なんと同じ方が対応してくださっていたようで、

覚えてます
電話番号聞けなかったから折り返せずにいました
さっきの順番(当日券は先着順)で1枚保留にしてあります


と仰ってくれたのだ!
おおお、神さまはここにいたんかいと、泣きそうになるのを堪えながら手続きを済ませてたくさんお礼を伝え、楽しんできます!と宣言し電話を切った。
私のスマホの通話履歴は、当日券受付のナビダイヤルしか表示されなくなっていた(200件までしか履歴が残らないみたい、200回以上もかけ直していたんだ!)。観劇の前から実は1人でこんなにエキサイトしていた。何だかおかしくなってしまう。

最後に、公演パンフレットの出演者インタビューの中にあった言葉を。

いつか、その個性が開花するから

少しでもポジティブな未来に繋がっていくことを願って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?