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「僕は歌う、青空とコーラと君のために」

こんなにも「まだ、終わらないで」「もう少しこの世界を共有させて」と思う時間を過ごすのはいつぶりだろう。

劇団ヒトハダの旗揚げ公演「僕は歌う、青空とコーラと君のために」。
観客席は100席くらいかな、舞台は手を伸ばせば届くんじゃないかって近さ、舞台の上の俳優さんの汗から何から全部が見える。
こんなに近くて熱いものを共有してしまったら、この先何百席もある劇場で舞台の上をオペラグラスで眺める観劇なぞ物足りなく思ってしまうんじゃないかと心配になってしまうくらい。それだけ舞台の上から熱がダイレクトに伝わってきて、たかぶって揺さぶられて夢中になる2時間だった。

戦後間もない東京近郊にある、米軍御用達のキャバレー「エンド・オブ・ザ・ワールド」。
そこを拠点に、いつか日劇アーニーパイルの舞台に立つことを夢に見る、ロッキー(浅野雅博)、ファッティー(櫻井章喜)、ハッピー(大鶴佐助)の 三人組男性コーラスグループ、「スリー・ハーツ」。
ある日、「エンド・オブ・ザ・ワールド」のママ(梅沢昌代)が連れてきた若い男(尾上寛之)が新たに加入して「スリー・ハーツ」から「フォー・ハーツ」として活動を開始する。
順調にグループ活動を続ける中、朝鮮戦争がはじまり、ハワイの日系二世であるハッピーが朝鮮に出兵することになり四人組の絆を大きくゆるがすことになる―


劇団ヒトハダ公式サイト 公演情報より
https://hitohada-offical.bitfan.id/schedules/3943?r=rb5r00


台詞のある登場人物は5人(+ピアニストが1名)、観終えた時に5人にはそれぞれの道でちゃんと幸せになってもらわなきゃ困る!と思うくらい、魅力的なキャラクターの5人。その5人が舞台の上で歌い踊り、ふざけ、感情をぶつけ合い、分かち合い、何重にも重たい蓋を乗せて自分の奥にしまっていたものを吐露し、それでも生きていく物語だ。

冒頭、俳優さんって歌も歌えるんだ…!と目から入る情報にちかちかしながらも(浅野さん、佐助さん、櫻井さん。大柄の男性3人が狭い舞台の上で女性の格好とメイクで歌い踊っている。佐助さんに至っては側転までしている。・・・ほら、ちかちかでしょう)、耳はどんどん冴えていった。
声を、感情を操ることの出来る人が歌う歌、なんて言ったら適切なのかうまく言葉を当てはめられないけれど、すごい引力の歌声とハーモニーだった。専門家ではない自分がどの目線から言っているのか失礼も甚だしいのだけれど、皆さん本当に上手だった、「エンターテイナーが歌う歌」がそこにあふれていた。

ロッキー(浅野雅博さん)の頼もしい声量とバシッととらえられた音程に魅了される(本当に本当に、本当に素敵だった)、ファッティー(櫻井章喜さん)の流暢な英語の発音と迫力のパフォーマンスに目も心を奪われる、チャーミングでセクシーで歌やショーを楽しんでいるハッピー(大鶴佐助さん)の姿にこちらもつられて笑顔になる、直情的で熱い思いがそのまま吹き込まれているゴールド(尾上寛之さん)の歌に涙があふれる、ジーナ(梅沢昌代さん)のすべてを包むやさしさと(いい意味での)諦めと祈りの歌声に心が浄化される。本当に素晴らしかった。
もっともっと沢山のナンバーを聴きたかった、スピンオフで『フォー・ハーツのショータイム』、なんて、実現しないかなぁ。

リーダーのロッキーが抱えた苦しさを堰を切ったように話す場面、汗も涙も全部しまっていたものと一緒に流れ出す、止めようとなんかせずに。思い出しただけで涙で視界が曇る。
いつも冷静で大人でほかのメンバーをいなしていたロッキーが、誰にも言わずに一人消えない苦しさをずっと胸の奥に抱えていた、それがあった上であの豊かで力強い歌が生み出されていた。それだけでもう、涙なみだだ。

ロッキーは「自分は生きていていいのだろうか」と自分を責めていた。
自然災害の発生や身勝手な犯罪者の暴走、今は国境の向こうの話だけど戦争だって現実に起こっている。どうしようもないことも過去を踏まえての今なのにと思うことも現実に起こっている。そんな中、自分は生きていていいのだろうかという問いは案外多くの人の心に小さな取れないシミのように巣食っている疑問なのかもしれない。
自分の近くにあったのに今はもうない命、望まずしてもうなくなってしまった命。多くの人がそういうものに思いを寄せながら生きている。あれは自分だったほうがよかったんじゃないか、あそこで自分が生かされた意味はなんなんだ。自分の中にあるそんな気持ちをロッキーの姿に重ねてしまう。

それでも自分の生は続いていく。苦しさや喪失にとりあえずカタをつけて、諦めて、とりあえず朝が来たら起きて夜眠ることをくりかえす。苦しいけど生きていく。
そういうのってなんていうんだろう、「生命力」、だろうか。神様から持たされた勢いあふれるそれとは異なる、でも、生き続けていくための力。ロッキーも、ハッピーも、ファッティーもゴールドもジーナも、そういう力を持っていて、それは私の目にとても魅力的に映った。生きている時代も、作品と現実という違いもあるけど、そういう力が必要だという点において私たちは同じフィールドにいる。遠い遠いどこかのおはなし、ではなく、彼らの世界は自分の毎日と地続きだ。

初めはスリー・ハーツで、最後はフォー・ハーツで『Boogie Woogie Bugle Boy』。同じ歌なのに、冒頭聴いてから起こった様々なことや5人の思いがのっかってここでも涙。4人で歌えてよかったんだ、でも、これが終わったらフォー・ハーツも終わってしまう。終わらないで終わらないで。そんな私の湿っぽい気持ちはさておいて、5人は軽やかででも思いのこもったハグと「グッバイ」ではなく「グンナイ」という言葉で別れる。さよならじゃなくていい夜を、今この別れる瞬間のあとの相手の幸せを願って。

ハッピーが劇中に言っていた「Someday、いつかね」。
いつか望まぬ何かが、望んだ何かが、やってくる。いつも自分のコントロールの及ばないところからやってくる。必要なのは大きさも衝撃もわからないそれを受け入れる余白なんだ。ハッピーがハッピーたる所以が伝わる短いひとことだった。
もうひとつ、ずっとおふざけ担当のファッティーがロッキーにかけた、「私には(あなたの苦しみは)わからない、でもあなたが苦しんでるってことはわかる」という言葉。ファッティーは愛の人だ。忘れらない言葉をもらった。


千穐楽のカーテンコールはひとりひとりからの一言があった(座長が最後締めるのかと思ったけど、なかったよなぁ(残念))。2階から移動してきた鄭さんの涙まじりの挨拶、客席やスタッフさんに向けられたのであろう舞台の上からの拍手、一緒にゴールテープを切った気持ちになる。何の力にもなっていないのにこういう気持ちにさせてもらっていいのか、おこがましくないのか心配になりながら、共有できた幸せをかみしめる。

舞台の幕が下りてもずっとほどよいヒトハダに包まれる、次の公演でまたこんなしあわせな経験が出来るのを、いまから楽しみに待っている。


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