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私のとなりの病 (1)

 2020年 9月 20日、日比谷図書文化館のホールで、「伊勢真一監督作品DVD-BOX第2弾 認知症・ケア シリーズ発売記念上映」として『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤 滋』(2019年/96分)と『妻の病 ーレビー小体型認知症ー』(2014年/87分)が上映されました。上映後に行われた西川勝さんと伊勢真一監督の対談を、4回に分けて掲載します。

トーク対談者
◆ 西川勝:自称・臨床哲学プレイヤー。元看護師。あれこれの現場で活動中。著書に『ためらいの看護ー臨床日誌から』(2007年 岩波書店)、『となりの認知症』(2013年 ぷねうま舎)などがある。認知症の人と家族の会 大阪支部 代表。

◆ 伊勢真一:1949年東京都生まれ。ドキュメンタリー映像作家。デビュー作は『奈緒ちゃん』(毎日映画コンクール記録映画賞他受賞)。その後、数々のヒューマンドキュメンタリーを自主製作・自主上映で創りつづけ、2019年『えんとこの歌』毎日映画コンクール ドキュメンタリー賞・文化庁映画賞優秀賞を受賞。

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伊勢 今日は大阪から西川勝さんをお招きしています。ちょっと西川さんと話をして、映画の感想も含めて、会場に来てる方とも少しお話しできたらいいかなと思ってますんで、よろしくお願いします。
 西川勝さんです。

(会場拍手)

西川 西川です。どうも、よろしくお願いします。

伊勢 自分では何ていうふうに言ってるんですか? 例えば僕は「ドキュメンタリーをつくっている伊勢です」とか、そう言うんですが。

西川 一定してないですね(笑)。その年によって変わりますけど、一番長く使ったのは「看護師の西川です」っていう自己紹介ですけども。最近は、まだ滅多に使ってない新しいものなんですけど、「臨床哲学プレイヤーです」って(笑)。ワケわかんないですからね、そう言ったら「臨床哲学ってなんですか?」みたいな話から、今の自分のことや臨床哲学と出会った頃、それから看護師になった頃って、まあ長い話ができるんで、そんなふうに言っています。

伊勢 じゃあ、ちょっと最初に西川さんの紹介も兼ねて、西川さんの著書を少し紹介します。西川さんが書かれた本で『ためらいの看護』(岩波書店)というのがあるんですが、看護師は何年くらいやったんですか?

西川 看護師は…何年かな。二十歳から47歳くらいまでですかね。

伊勢 30年近く。それと『となりの認知症』(ぷねうま舎)っていう本があって、今日は『となりの認知症』が中心だと思うんだけど。映画『妻の病』の感想にも繋がるかもしれないんで、帯に書いてある言葉を読みます。

伝わらないこと、それは始まりです。
そこには、色があり音があります。
沈黙の苦しさを、お互いに変わり合う、
新しい経験の場とするために。
寄り添うことの豊かさを味わう。
 ── 西川勝 著『となりの認知症』(ぷねうま舎)の帯より引用

伊勢 結構、面白いんですよ。みんなに勧めてるんだけど。どっかもう一節読もうね。

 遠すぎもせず近すぎもしないのは、いったいどこなのでしょうか。
 それは「となりに居る」ということだと、ぼくは考えています。相手と自分が同じ場に生きるものとしてとなり合わせることが大切です。相手の顔が見えます。自分の顔も相手から見られます。ぼくが思い出す認知症の人は、みんな顔のある人です。その顔はぼくに向けられていました。
 〈中略〉認知症というできごとをはさんで、人と人とがともに居るあり方が浮かび上がってくるのです。
 老いの中で出会ったぼくという見知らぬ人間を迎え入れてくれたあの人たちが、また誰かのとなりにいることを願っています。
 ── 西川勝 著『となりの認知症』(ぷねうま舎)より引用

伊勢 こんなかんじでね、なんかすごくしっとりした文だよね(笑)。

西川 本はね(笑)。

伊勢 『妻の病』も結構しっとりしてるしね。今日は観てどうでしたか?

答えをいくら出されても多分、納得しない…家族としては。自分の問いを一緒になって考えてくれる人こそがほしいんですよ。(西川)

西川 えっと…ぼくは「認知症の人と家族の会」(以下 家族の会)の大阪府支部の代表をしてまして、去年のアルツハイマーデイは大阪で、アルツハイマーデイの記念講演として、この『妻の病』を上映して伊勢監督とお話するっていうのをやりました。
 今までは大体お医者さんに話をしてもらったりしていて、初めて「映画を観せる」っていうことをやりましたけど、ものすごく好評でした。やっぱり家族っていうか、そういった人が「本当にききたい話」とか、「本当に見たいこと」っていうのは、こういうことなんだなと思いましたね。
 もちろん自分の家族の病気や薬について、どんな病院に行けばいいのか、どんなサービスを受ければいいのか、どんなふうにしたら相手のことをもっとわかるようになるのか、っていう話がいっぱいくるわけですけど。でも、たとえ答えを用意しても絶対に納得しないです。また同じことを求めて、どこかの研修会とか勉強会に行きはるんですよ。答えをいくら出されても多分、納得しない…家族としては。自分の問いを一緒になって考えてくれる人こそがほしいんですよ。

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西川 石本さんはお医者さんですしね、普通より圧倒的に認知症に関する医学知識があるじゃないですか。小児科医だけれども、精神科医が誤診したときにもう認知症の疑いを持っていたわけですからね。きっと自分の妻のことですから、かなり色々調べはったやろうし。でも、講演会でおっしゃってましたけど、“結局そんな自信持ってなんかしゃべられへん”てね、“助けてほしいのは、ぼくの方だ”って言ってましたけど。本当に石本さん、辛かっただろうなと思いますよ。
 そういう意味では彼をケアしてくれたのは、弥生さんであり、この映画(『妻の病』)だと思いますよ、やっぱりぼくは。この映画を撮ってもらうことが、石本さんにとってはね、ケアで疲弊しがちな自分をケアしてくれるって。これはぼくの師匠の鷲田(清一)さんなんかがずっと前から言ってたことなんですけど、「ケアする人には、ケアされることが必要だ」って。ケアするだけで人生を生きていくことはできないと。だから「ケアする人をケアする」っていうことが、ものすごく大事なんだということを言ってました。石本さんはね、医師でもあり男性でもありっていうことで、なかなか難しかったのかもしれないですけど、そこを伊勢監督とのこの映画の中で、ケアを受けていたんじゃないかなという気がします。
 それで…どんどんしゃべっていいんですか?(笑)

伊勢 どうぞ(笑)。

西川 いっぱいなんか色んなこと考えてたんで(笑)

あの弥生さんが抱えたあの病は、“妻の病”であり“妹の病”であり、また他の色々の病であるわけです。(西川)

西川 あの、『妻の病』ってタイトルじゃないですか、副題に「レビー小体型認知症」ってなってますけど、“妻の病”なんですよ。でも、“妹の病”でもあるんです。あのお姉さんからしてみたら。家族の会(認知症の人と家族の会)に入ってからだんだんわかったことですけど、必ず“父の病”であったり“母の病”であったり、年老いた親からしてみたら“息子の病”であったり“娘の病”であったりっていうことで。必ずね、レビー小体型とかアルツハイマー型認知症とかいうようなものではないんです。それで切れないんですよ。必ず関係性の中であるわけです。石本さんからしたら、どうしたって“妻の病”なんです。医師として客観的に、統合失調じゃなくて認知症なのかもしれないっていうことを考えたときは、それは医学的客観的に知識を持ってやってることですけども、彼が悩んだのは「レビー小体型認知症」ではなく、“妻の病”に悩んでた。それで、お姉さんはお姉さんで、”妹の病”について介護したと。ここらへんがね、なんていうんですか、お姉さんは幼い頃はずっと一緒に暮らしてたでしょうけども、大人になってからは別々に暮らしてはりますよね。妹の病を知って「初めはびっくりした」って言ってましたけど、大人になってからの人生っていうのは共に歩んではないですよね、姉妹でもね。だから案外大丈夫なんですけども、認知症の場合その関係性の中であるんやけども、例えば「妻」は、若く溌剌とした妻、自分が心奪われた若き妻があって、それからだんだん自分も仕事を頑張ってお金をつくってクリニックを開業するとかの苦労を一緒にやってきてるあの妻と、今、言葉が出なくなったり、呂律がまわらなくなったりしている妻だとか、二重写し三重写しになって見えるわけです。そこが一番つらいところなんですね。
 所謂「認知症の人には何度も同じことをきかれても、それは初めてきくようにして返事しなさい」とか、プロの中のスキルはいっぱいあるんですけど、家族がそれをできないのは何故なのかっていうと、介護を仕事にしている人間には、人生を共にした経験がないんですよ。認知症になった人が介護保険制度の中で「利用者」として現れるわけです。だから自分の持ってる認知症に関する知識だけで対応できるんです。ところが家族は「妻」であれば、自分の「恋人」だったときから「妻」になって、それからずっと人生を歩んできて、子育てもしたりだとかっていうような、その人生すべてを引き受けて相手をみなければいけない。そこが全く違うっていうところですよね。
 最初はこの『妻の病』って映画のタイトルに深い意味は考えてなかったんですけれど、よくよく考えてみるとね。家族の会なんかで皆さんが観て、「認知症の映画って、レビー小体型のことを色々…と思ったけど違いましたね」っていうんやけど、「違いましたね」といいながら、「いや〜……」ってね。特に男性なんかは、奥さんを介護してる人なんかは本当に、泣いてはる人もたくさんいました。まあ世間では「認知症には3つ種類があります」とか、「脳のここらへんがこうなったときはこういう病名で」とかっていうふうに、関係性とは関係のないところで語られる。例えば弥生さんの、その人個人の中に病気があるように語るじゃないですか。レビー小体型やとかアルツハイマー型やとかっていうんですけども、あの弥生さんが抱えたあの病は、“妻の病”であり“妹の病”であり、また他の色々の病であるわけです。

”隣人の病”みたいな形で捉えることができればいいのかなって。でも、あくまでも”となりの人”なんですよ。あの「となり」っていうのは「自分」がいて「となり」ですからね。(西川)

西川 ひとつ大事なことはそういう「家族関係の中だけでは、とうてい相手を支えきれない」ということ。それで「社会の中で」といったときに、“となりの認知症”っていうか、“妻の病”っていうか、“隣人の病”みたいな形で捉えることができればいいのかなって。でも、あくまでも“となりの人”なんですよ。あの「となり」っていうのは「自分」がいて「となり」ですからね。”自分”がいないところの”隣人”っていないわけです。”自分にとっての隣人”になるわけです。だから自分とは関係のない出来事として認知症の問題を語らない。常に、“私の”妻であったり“私の”親であったり、“私の”隣人である。自分を棚上げしないで、そういう人の苦しみみたいなことをどう考えられるのかなと。それは『妻の病』の15年にわたる長いお付き合いの中で石本さんは、伊勢さんに向かってだから話をしてるんですよね。そこらへんが彼にとっては、自分の苦しいことを言える相手がいるっていうのは、もうそれだけでケアになるわけです。話きいてあげようって思っても信用できない相手だったら、相手はしゃべってくれませんから。自分の苦しみをしゃべれる相手が目の前にいるっていうことは、その苦しみを今まで誰にもしゃべれずに抱えざるをえなかった人にとっては、ひとつの救いなんですよね。

BW8A4784のコピー

伊勢 ぼくは時々「ぼくが映画を創ってるのは治療行為だ」っていうんだけど(笑)。だから今の話でいえば、石本さんがぼくに話をするのがケアになってるっていうことが、同時に、ぼくはぼくで話をきいたり、その後編集作業をしたりなんかしていること自体が、自分の治療行為だと思ってるの。自分の病気のね。
 多分みんなそんなふうにして関係っていうのはできてるのかもしれない。固定した誰かとか、いつもこの人は面倒みる人とかっていうんじゃなくて、そんなふうにしてお互いにかかわり合いながら、それが生きているっていうことの、本当の中身というか。バラバラのようでいて違う一人ひとりがかかわり合いながらね。

〈つづく〉

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▼ 9/20上映作品 予告編


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0116日比谷チラシ(表面).pptx


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