伊勢クリエイターズ・ワーケーション滞在記(村上慧)

伊勢クリエイターズ・ワーケーションに応募したのが二年前。あれから身のまわりの状況はずいぶん変わった。当時はまだ出会うまえだった人もいれば、連絡をとらなくなってしまった人もいる。いろいろなことが起こったし、それによって自分もいろいろな影響を受けた。
もし二年前に予定通り滞在を終えていたら、とか、もうすこし滞在を先延ばしにしていたら、とか、いろいろな「もし」を想いながら、この滞在記をまとめはじめる。伊勢には、この「もし」を考えさせるなにかがある。

8月25日、ビジネスホテル山本での生活が始まる。真っ白なビル。一階から屋上のてっぺんまで、真っ白。
フロントのご主人が、まずいくつか訊きたいことがあるんです、と言って、清掃にはどのくらいの頻度で入った方がいいか、清掃に入らないばあい、タオルはどのように交換するか、などの打ち合わせをした。いい時間だった。話を聞くこと、話をすること、だいじ。

僕はホテルに泊まるとき、まず部屋のエアコンのフィルターを点検するという癖がついてしまっているのだけど、ビジネスホテル山本のそれは綺麗で、掃除の必要がなかった。感動した。なかなかない。

お風呂に入ってから「一月屋」に行き、生ビールとわかめ酢味噌と刺身盛り合わせとご飯を食べた。大将が人なつっこい。
最近、関東の人たちとわかめ酢味噌の話になることが多いんだよ、赤味噌つかってるから、名古屋でも白味噌使ってたりするじゃん、珍しいみたいね、と言っていた。その言葉のとおり、目のまえに出されたわかめ酢味噌は完全なる赤味噌(むしろ黒味噌)で、ちょっとびっくり。
伊勢は、関西と中部がまざったような感じが関東の人には面白いと思うよ、と大将。

帰り、ファミリーマートで伊勢角屋麦酒の「ヒメホワイト」と「まぐろや金森丸アラカルト」とミネラルウォーターを買い、ホテルで一人宴会。YouTubeでロックバンドのMVをたくさんみた。moon in Juneと、Laura Day Romanceというバンドの新譜が昨日からサブスクで聴けるようになったのでそれを聞きはじめたのがきっかけ。
UlulUというバンドを発見。「夕方のサマーランド」という曲がめちゃくちゃいい。これは、めちゃくちゃいいではないか…。
こんな素晴らしい音楽をつくるひとたち、みんながめいいっぱい自分の音楽に専念する時間とそれを可能にするお金が与えられることを、心の底から願う。
ベッドの上でランシエールの『無知な教師』を読んで寝る。

26日。1時に寝たのに4時に目が覚め、また寝て7時に目が覚め、また寝て9時に目が覚める。一回にたくさん眠れない。最近はずっとそう。
起きてから顔を洗うまでの1時間半、携帯で漫画を読む。『嘘喰い』は、ようやく四百話近くまできた。面白い。『無知な教師』も読む。SNSをパトロールする。12年前に知り合った人と、それとは全然違うジャンルの昨年からの知人が、東京の青山ブックセンターでのトークイベントで同席するらしい。なんだかうれしい。でも、あえて連絡はしなかった。

AMAMI LIVINGという近所のカフェに行って、ガパオライスとバナナジュースを飲む。『無知な教師』を読む。

これから2週間、唯一持ってきた仕事である報告書を書くこと以外は、特になにもやることがない。家事すら必要ないという状況である。
持ってきた7冊の本(小説2、思想書3、短歌集1、宣言書?1)を読んでもいいし、なにか書いてもいい。観光してもいい。こういう時間を待っていた。東京のアトリエにいると、なにかやれることを探してしまうので、特に小説を書いたりするにはこういう時間が必要。いまのところ。

午後、荷物をおいて、手ぶらでお伊勢さん参りをしてきた。まず外宮の正宮、風宮、土宮、多賀宮。
正宮、柵があるが、乗り越えようと思えばわけないはずだ。でも人々はそうしない。
「そこに立ち入ることは許されない」という心的な縛りによって守られている、人間らしさというか、知性というか、そういった力は各人の中で働いているものだ。
なぜなら柵の向こうにいかないでくださいという命令はどこにも書いていないから。まったく別の星から来た生命体がここにいたら、こんな柵乗り越えるだろう。アトラクションとして遊ぶだろう。
この力はどこからくるのか。ランシエールならこう言うだろう。それは、人間はみな平等であるという事実からきている。

敷地内にある別宮のすべてに古殿地があることを初めて知った。これらすべてを20年に一度建てかえていると思うと、大工さんが足りない気がする。

別宮の名称を英語で説明しようとすると、ちょっと発見がある。「多賀宮」は、ハッピーとかラッキーというよりも、もうすこし「恵まれたもの」「賜るもの」というニュアンスがある気がする、とか。

お腹が急にぐるぐるしはじめ、きつくなり、トイレを探して早足で歩いていると裏口についた。そこから表参道の方へ戻る。なんだか鳥居をくぐらずに外に出てしまったのが申し訳なくなり、鳥居からはるか離れた信号のあたりから、鳥居の方角に向かってお辞儀をした。

バスで内宮に向かう前に伊勢角屋麦酒で一杯ひっかける。ペールエールめちゃうま~、あつ~、湿気すご~。

お伊勢さんの式年遷宮は1400年くらい前に始まったらしい。決断した人、すごい覚悟だっただろうな。同じころに法隆寺も建てられている。
一方は「壊すことで後世に残す」という戦略をとり、一方は「そのもの自体を後世に残す」という戦略をとったといえる。敵に回したときにどちらのほうがこわいか、考えてみるのはおもしろいかもしれない。

熱中症にそなえて、内宮入口前の売店の自販機でポカリスウェットを買う。

内宮正宮、結婚していたとき、5年くらい前に元妻と来て以来だ。あの頃は自撮りという文化が浸透していなかったから、誰かに写真を撮ってもらったのだった。
「ここまでこれました。ありがとうございました」と作法に習ったお祈りをすると、ぐっとくるものがあった。

内宮も外宮も、若い人グループ、カップルが多い。役場の三宅さんも言っていたけど、高齢者の参拝客が減っているのかもしれない。

荒祭宮にもお参りした。

参道の途中で1メートル四方がロープで囲われているだけの場所があり、「これも神社なんです」という、ガイドさんの声が聞こえてきた。大きさ30センチくらいの石が真ん中にあるだけで、あとは数段の階段しかない。
小さな神社、いい。「長さ2センチの運河」なんかに似たような詩性がある。

風日祈宮、いい。ここは好きだ。

すれ違った四十歳前後の男性三人組について。
メガネの人が鳥居前でお辞儀をしてからくぐり、残り二人は鳥居をくぐらずに入ったのだけど、そのうちの一人がお辞儀をした人に向かって「めちゃくちゃ信じとるやん~」と言っていた。メガネの人は「一応ルールを…」と釈明めいた口調。
たしかに鳥居をくぐるときのこの作法を「信仰心」とよぶことはできるかもしれない。ならば信仰心とはどこからそう呼べるものになるのか。
僕は自分を信心深いタイプの人間ではないと思っていたけれど、鳥居をくぐるときには自然と頭が下げる。あるいは一人でご飯を食べるときでも「いただきます」「ごちそうさま」をする。お正月を祝う。これらも信仰心というのなら、この国に「信じとらん人」など、ほとんどいないのではないか。

それにしても、ビールを結構飲んだのに、まったくトイレに行きたくならない。すべて汗として流れている。すさまじい湿気。

帰りに「フレッシュみえかつ」という店で冷凍のビンチョウマグロ刺身を買う。寿司を求めて入ったのだけど、お寿司はぜんぶ売り切れちゃってねえ、と店主のおじさんがほんとうに申し訳なさそうにしていたので、ぜんぜん大丈夫です!今度はもっとはやく来ますと伝える。そこで「ぎゅーとら」というスーパーを教えてもらい、サトウのご飯、カップ味噌汁、ビール、梨などを買う。ぎゅーとら、最高だった。

帰ってから醤油がないことに気がついたが、ホテルのご主人が貸してくれた。小さな魚の形をしたアレ。皿も果物ナイフも貸してくれたし、ご飯もレンジで温めてくれた。昔の小説に出てくる下宿に泊まっているようなきもち。

夜、京都の友人二人とオンライン駄話会をした。「行けない場所がふえていくのが人生」というネガティブすぎるせりふが自分の口から出てきて驚く。また伊勢には「進富座」というミニシアターがあることを発見。うれしい。

ネットフリックスでアニメ「平家物語」の四話まで観たところで眠くなり、寝る。

27日。今日も途中何度が起きながら10時ごろに本格的に起床。また『無知な教師』を読む。ランシエール、あつい。

ご飯を食べつつ本を読んだりパソコンを開いたりできるところへ行きたいと思い、ホテルから歩いて2分の「和食 さと」へ行こうと決意したのだが、ここで葛藤が生まれる。
昨日はAMAMI LIVINGという、「地元の個人事業主がやってるっぽいカフェ」に行ってご飯を食べたり本を読んだりした。こういう、地元にしかなさげな店にできるだけ行きたいのだが、そういうところでは延々とパソコンを開いたり本を読んだりするのははばかられる。匿名性が足りない。
僕は自分が匿名の存在になれる場所に、居心地の良さを感じる。それはフランチャイズの店のほうが優れていることがおおい。店員も匿名であること、つまりマニュアルがあること。でも、ほんとうは「地元のお店」に行きたい。この葛藤。
といいつつ、結局「さと」にきた。初めて入ったけれど安くて量がおおくておいしい。

ふと、今回の滞在で助成金の報告書製作はまったく進まないのではないかと思った。いっそ諦めてしまったほうがいいかもしれない。なんだか、せっかくのこの暇な時間をこういう仕事に費やすのはもったいない。

コンビニで「ハリボ」とヨーグルト味のラムネを買ってメールの返事。10月から始まるゼミのことを考える。

ネットフリックスで「タクシードライバー」をみる。たぶん二回目。

缶ビールとブラックペッパー味のおつまみを買って川まで歩く。音楽を聞いてたらあっという間に川。帰りにコンビニで稲荷寿司と赤ワインとカップ味噌汁と安曇野の天然水を買ってホテルに戻り、「トレインスポッティング」と「クワイエットプレイス2」をみる。

28日。夏が終わった。不意に小説を書き始める。以前からあったアイデアに肉付けをしていくように。

29日。「教育と愛国」を伊勢進富座で観た。「じろべえ」で伊勢うどんを食べた。とても美味しかったけど、おなかにたまらなさすぎて驚いた。これは、おやつとして食べた方がいいな。
夜は「みたすの湯」に行った。サウナも1セットきめた。「みたすの湯」の露天風呂のテレビで聞いたあいみょんの「愛を知るまでは」よかった。

30日17時56分。ブルーアワーの伊勢神宮へ。すばらしかった。他に人はおらず、ただ梢を揺らす風の音と、自分の足元から砂利の音だけが響く薄暗い参道を歩く。

31日朝10時すぎ、ビジネスホテル山本をチェックアウトして「つるや旅館」に移動。めちゃくちゃいい感じ。ワーケーションの先生ですか?と女将さん。先生じゃないですけど、そうです。と返したら、先生ですよーと言われた。先生と呼ばれるの苦手だ。

朝、外宮にお参りしたとき、正宮にて、中年の半袖短パンで手ぶらの男性が一人、頭を下げて、ぐっと両手を握りしめて目をつぶって、ほんとうに祈っているようだった。「祈り」というのは、こうやってやるのかと。ほんとうの祈りというものを初めて見たかもしれないと思った。
その男性は他の人たちが次々参拝しては去っていく中、一人で、5分以上はその姿勢のままでかたまっていた。目を奪われたし、胸に来るものがある。ほんとうに祈っている人というのは、傍目にもすぐにわかる。あんなにきれいなもの。

僕もまねをして、目をつぶり、心のなかで具体的な文章にして一語一語はっきりと唱えるように祈ってみた。久しくやってなかったけど、やってみたら隣で目を閉じて祈っている人にも自分の心の声が聞こえているんじゃないかという気がした。

午後、伊勢志摩のほうへ電車で行ってみた。
海賊船みたいな周遊船が出ていたので、お金を払って乗ってみた。ガレオン船を真似してつくられたものらしい。
ナレーションによるとこのあたりは英虞湾といい、真珠の養殖が盛んなので「真珠湾」ともよばれている。英虞湾には島が60あるが、人家があるのはふたつだけである、とのこと。ナレーションの声が「ジョセイ的景観」という言葉を連発していたのが気になった。「女性的景観」ということだろうか。

雲が、島みたいだった。海と空で同じことが、異なる時間的スケールで起きているのだ。

船から見るとどれが半島でどれが島かなんてわからない。このふたつに大した違いはないのかもしれない。すると日本も島なんだから、ここで半島と呼ばれているものだって島と呼べるのだが、そこは無意識の合意がなされている。

船でビールが売られていたのでつい飲んでしまった。酔った。

夜、駅前のとある居酒屋、店が回ってなさすぎて笑った。となりの女性客は一時間待たされたと店員に文句を言っていた。わたしも飲食で働いてるんですけど、これはちょっとないですよと、とてもやさしく、さとすように。僕も会計を頼んだのだが、全然来ない。おもしろい。

日の落ちた伊勢神宮、下を見ながら歩いていると、ふと道端に人が立っているのでどきっとして顔を上げたら、木だった、ということが何度も起こる。ここにはなにかがいる、と思わせる気配がある。


さて、ここまでは日付ごとに日記のようなメモをつけて過ごしていたのだが、9月1日から7日のチェックアウトまでは、1日に奈良で知人がやっているスペースまで遊びに行ったのと、6日夜に来客があり、遅くまで二人で飲んでいたことをのぞいて、ほとんど宿から出ずに文章を書いていた。
「つるや旅館」の二階ベランダに喫煙所があったので、旅館の人に頼んで椅子をもちこませてもらい、そこに座って書いたり、たまに近所にあるタバコが吸えるすばらしい喫茶店「ロマン」で書いたり、旅館ではお風呂の時間もかなり融通をきかせてもらったり、「みたすの湯」に行ったら大変な嵐がきて帰れなくなり、旅館のおとうさんに迎えに来てもらったりしながら、百年前の文豪のような巣ごもり生活を送らせてもらった。書いた文が「仕事」になるかどうかはまだわからないけれど、世話をしてもらったつるや旅館への恩返しのためにも、いつか発表できるように努力を続ける。

そんな生活のなかでも、外宮には毎朝お参りした。朝の神宮は気持ちがいい。木々の背は高く、砂利の音も楽しくて、境内を歩いているだけで自然とすこやかな気分になってくる。一人で文章を書いていると感情が出来の悪いジェットコースターのように乱高下してたいへんなのだが、この参拝の習慣が1日を整えてくれた。なるほど、だから人は神社に通うのか、と思った。
この神宮は1400年前から人々の願いや感謝を受け止めてきた。そんな神宮の力なのか、一人の時間がそうさせるのか、歩きながら、あるいは祈りながら、いろいろな「もし」を考えた。
ここはどこなのか、いまはいつなのかがわからなくなってくる。鳥居をくぐって街に戻れば、入る以前とは違う世界になっているんじゃないかと思えたり、遠くにいる人のことを自然に考えたりする。でも昨日も今日も、神宮は同じようにそこにある。それはもうがっしりと、大きな説得力をもってそこにある。風船みたいに飛んでいってしまう人間の思考をこの場に留めてくれる重しのような存在。ここがあるから人間は、いろいろなところに飛んでいくことができる。
この森からたくさんの風船があがる。でもそれらは漂いながらも上空でとどまり、どこかに消えていくことはない。もうすこしで、それが目に見えそうだと思った。


村上 慧(Murakami Satoshi) 美術家/作家

https://satoshimurakami.net/

【滞在期間】2022年8月25日〜9月7日

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)