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< 伊勢日記 / 後編 > 横山 麻衣(Yokoyama Mai)

3月5日
今日は早朝から外宮に行ってみる。まだ春先の冷たい空気が静けさに満ちていて、昨日の内宮とはまるで対照的な空間だった。一息つく。そして正宮の横にある、今は小さなお社だけが立つ新御敷地にそびえる杉の大きさに目が入った。根元が少し斜めになっていて、黒っぽい皮がねじれるように揃っている。人々が触る根元は皮が剥げて赤くなっていた。いったい何百年ここにあるんだろうか。昨日の内宮でのお伊勢参りでは“お参り”という行為にばかり気が向いてしまい、自然にはあまり意識が向かなかったが、今日はむしろそちらに気が行った。その後は宿で制作した。

別宮遥拝所 石段を登れない場合はここからお参りできる


3月6日

今日は一日制作。


3月7日

今日は市役所の方に同伴してもらってあらためて外宮の撮影に赴いたのち、ついに今回の旅の主目的である文化財を見せていただいた。

まずは、寂照寺さんにある「木造聖観音菩薩立像」を見せていただいた。一木割矧造り、桧でできたこの像は鎌倉時代初期に製作されたものだが、明治時代までは寺院裏の観音山に安置されていたらしい。そのため別名を岩観音とも呼ばれる。それまでは厨子の中で厳重に晒に巻かれていたのだとご住職が教えてくれた。また、堂内の壁には古い時代の絵馬が飾ってある。現在の絵馬は手に収まるサイズだが、昔の絵馬は絵ほど大きかった。

研究・修繕のため解体される仏

山あいを車で走り、久昌寺さんに向かった。まずは仏像を見る前に本堂に置かれた写経石を見せていただく。「久昌寺は平知盛の菩提寺で、壇ノ浦の戦いより5年後の建久元年(1190)に創建された。昭和27年、本堂新築の際、和盛の墓を発掘したところ、平安末期の人骨二体、短刀一振、そして写経石数千個が発見された。いずれの石にも法華経の一部が記されている。」という説明書きのかたわら、錆びついた短刀と写経石数個が陳列されていた。それから管理者の方に御堂を開けていただき、いよいよ「木造阿弥陀如来立像」と対面する。檜材、寄木造で、こちらは国指定の重要文化財である。
過去の研究の際(か、手入れのためか)分解した際の資料なども見せていただいた。管理人の方がとても気さくな方で、ついでに鐘楼も突かせてもらった。(最高だった。)

写経石


3月8日

今日も市役所の方に車を出していただいた。本当にありがとうございます。
お寺に行く前に朝熊山山頂展望台に連れて行ってもらった。開けた山のてっぺん!という感じでとても景色がいい。入り組んだ海岸線の合間、鳥羽の方までよく見えた。倭姫命もこうして上から見たりしたんだろうか。

阿弥陀如来の印相と地蔵菩薩(X線写真)
線刻阿弥陀三尊来迎鏡像

景色を楽しんでから金剛證寺さんに向かう。山の上にあるとは思えないほど堂々とした規模のお寺で、仏教寺院だが伊勢神宮の鬼門を守っている。「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参宮」と歌にも残るように、お伊勢参りをしたあと金剛證寺(朝熊山)を訪れるのが慣わしだったらしい。
このように伊勢では神仏習合の思想が顕著に残っている場面が多く、前知識が無かったためかなり意外だった。特に宝物館で拝見した「木造雨宝童子立像」(重要文化財)は、天照大神が地上に降り立った16歳当時の姿を金剛證寺で修行中だった空海が彫ったものだと寺に伝わっている。檜材、寄木造の「木造地蔵菩薩立像」は上半身裸で、実際に衣を着せられるように作られている。傍に着物が掛けてあった。つるりとした造型で金箔がかなり残っている。また、調査によって体内下部に銭貨が納入されていることが確認されている。その他にも「線刻阿弥陀三尊来迎鏡像」(国宝)や15世紀に神宮から寄進されたという「瑞花双方八稜鏡」(重要文化財)など、多数の宝物が陳列されている館内は非常に見応えがあった。

金剛證寺の七宝皿

その後太江寺さんに伺うとご住職さんがホワイトボードで寺の成り立ちを説明してくれた。行基によって建立された太江寺は神仏・興玉神・天照神・千手観世音菩薩を祀った神仏習合の寺院だそうだ。木造の堂内はひんやりしていて外界から隔てられたように暗かったが、空間の中心に誂えられた扉が開いた時、その暗さの必然性を強く感じた。扉の奥でライトアップされていた「千手観世音菩薩」(重要文化財指定)は黄金色で、ぱんと跳ねるように輝いていた。

仏足石と太江寺千手観世音菩薩


3月9日

今日は朝から伊勢和紙館を見学。社長の中北さんに案内していただいた。
運営している大豐和紙工業さんは1899年に創業し、今回ドローイングブックのベースに使わせていただいた手漉き和紙やインクジェットプリンターにも使える和紙のほか、神宮御用紙を納められてきた会社だ。御用紙はお札やお守りに用いられているので、神宮を訪れたことのある方は手にしているかもしれない。和紙の作り方を教えていただきながら工場の中を見学させていただいた。この日機械漉き和紙のための巨大な機械はメンテナンス中だったが、手漉き和紙の職人の中島さんとお話しすることができた。漉いた後、重ねたまま脱水させた和紙を一枚ずつ剥がし、特注の金属板に貼り付けて乾かす。その一連の手付きは澱みなく、これまで画材の一つとして使っていた和紙に堆積した職人の技巧を改めて実感した。

午後は世義寺を訪れる。
お寺の前の看板によると、世義寺は天平年間(729~748)に聖武天皇の勅願を奉じて行基が前山町亀山群に建立したことが始まりだという。鎌倉時代の「木造愛染明王坐像」を見にいったが、中央に座する役小角も気になった。前鬼後鬼が左右に控えている。

前鬼と後鬼

外宮裏の茜社(豊川茜稲荷神社)の中を通り、最後に外宮式年遷宮館を訪れた。館内はあまり広くはないが動線が良く、とても見やすかった。外宮の御饌殿(みけでん)では毎日朝夕欠かさず、外宮内宮の両ご祭神にお食事をお供えする日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)というお祭りが捧げられているらしいのだが、そこで奉じられている神饌(神に捧げる食事)の再現がある。料理というよりは山海の素材を並べたようなつくりで、ご飯が三盛りに鯛や鰹節、果物を添えた盆は人間の一食と比べると多いように思う。
式年遷宮では御装束神宝(お祭りなどに使う武具や楽器や服飾品など)をすべて新調するらしい。その際に奉じられる工芸品は高度な技術を要するものばかりで、展示してある織物や「玉纏御太刀(たままきのおんたち)」という宝剣などは緊張感がまるで違った。特に太刀は奈良時代に中国から渡来した刀装と古墳時代の刀装の様式を一つに合わせた独自の形態だそうで、(チープな感想で申し訳ないが)ゲームに出てくる魔法の刀という感じで本当にびっくりするほど豪奢だった。これを20年に一度作っているなんて…。


3月10日、11日

二見浦、内宮、外宮など改めて散策。宿で制作。


最終日

朝早く宿を出た。ここに来た日はマフラーを巻いても肌寒かったのに、この1週間ですっかり暖かくなった。滞在中何度も通った外宮前参道を歩いて鳥居を潜り、駅舎に入って初日に見た赤福ベンチに座る。

この伊勢の旅は、絵画制作のインスピレーションを得るために伊勢市内の仏像を見たいと考えたことがきっかけだった。伊勢神宮を中心とした神社のイメージが強い伊勢市にはどのような文化財があるのか気になったのが当初の動機だったが、現地で市役所の方や地元の方とお話しする中で知った外からでは分からないような興味深いスポットに行けたことが本当に大きな収穫だった。滞在中に制作したドローイングブックと共に、伊勢日記と称してまとめようと思う。


お宿は全日和装庵さんに泊めていただきました。
外宮まで徒歩5分のアクセスの良い立地で、お部屋は清潔感があってとても過ごしやすかったです。オーナーの阪本さんにも本当に親切にしていただきました。
また伊勢に行く際はお世話になりたいと思います。

伊勢市のみなさま、すばらしい機会を本当にありがとうございました。

横山 麻衣(Yokoyama Mai) アーティスト

https://www.yokoyamamai.com/

【滞在期間】2023年3月2日〜12日

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)