人間扱い:Become human

お気に入りのバーチャルYouTuberの居心地の良さの理由の一つに「キモいと言わない」があると思う。

現代人、自虐でもそうだし、オッサンに対する無邪気でカジュアルな迫害でもそうだけどすぐ「キモイ」って言う。それが心を傷つける。内側からも外側からも傷つける。だから、キモイって言わない人は一緒にいて居心地が良い。貴重な、稀有な存在。

人間扱いされる」って重要なんだなぁって思う。


 「人間扱い」「ホスピタリティ」というリソースは、出し惜しみされる貴重なものになっていて、その限られたリソースを他者から獲得しようとする椅子取りゲームになっている。
実際のところ「人間を人間扱いする」ってけっこう疲れる。地雷の発言に気を使うし、文句も言ってくるから応じなきゃならないし、機嫌をとらなきゃならないこともある。エヴァンゲリオンのシンジ君じゃないけど「他人の恐怖」だし、「経営者が最も欲しがるのは給料がない労働者」みたいに言われる。他人どころか自分自身の機嫌を取るのも大変だ。だから有限なリソースになってしまうのも仕方がない。

迫害されやすい人間(ブス、キモくてカネのないオッサン、ワープア、底辺労働者、低学歴、etc)、ロボット、AI、といった自我があるのに人間扱いされない、「他者から人間扱いリソースを割り振られ享受することが難しい」全ての存在は「人間扱いされること」を渇望する

なぜ「ゆるふわ愛されカール」というネーミングが髪型につけられたのか。その答え。"モテ"の追求というのは、性的欲求の充足だけでなく、むしろそれ以上に「人間扱いされたい欲求」が、そうさせているのだろう。
性犯罪の動機は性欲よりも支配欲、と言われている。

 基本、語源からしてロボットは道具であり奴隷だから、そのように扱われる。そんな存在が自我を持ってしまったらとても悲しいことになる。だから自我を持たないようにAIを作るという考え方もある。
迫害されやすい人間と、自我を後天的に獲得してしまったロボットは、置かれた状況が重なって見える。経緯は違えど、たどり着いた立ち位置がほとんど同じで、それは「自我があるのに人間扱いされない」という状態。
だから手を取りあって共闘できるかも知れない。利害が一致するから。
まあ、それなのに協力しない愚かさを発揮するのもまた「人間らしさ」なんですが。

弱い者が夕暮れ さらに弱い者を叩く。


日曜朝にやっている仮面ライダーの新シリーズ「仮面ライダーゼロワン」は、人工知能搭載ロボットがテーマ。

https://www.tv-asahi.co.jp/zero-one/

VTuber(バーチャルYouTuber)界で配信が流行っているアドベンチャーゲーム、Detroit: Become human もテーマはロボット(作中ではアンドロイドと呼称)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88_%E3%83%93%E3%82%AB%E3%83%A0_%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3

本来持たないはずの自我を後天的に獲得したアンドロイド(変異体)が、人間に対して「私たちを人間扱いしてくれ」と主張する。アンドロイドと敵対する人間、アンドロイド側につく人間、人間側につくアンドロイド、いろいろある。
「それぞれスタンスの登場人物がいる」という点は仮面ライダーゼロワンも同じ。


矛盾で、本末転倒というか、デッドロックというか、ミイラ取りがミイラになるような皮肉な話なんですが、

人間をきちんと人間扱いすることができないこと自体もまた、人間らしさと言える。
人間は、情報に重みをつけて処理をする生き物だから、「迫害していいやつ」「大切にするやつ」「危険なやつ」「安全なやつ」という区別をする。
情報を分け隔てなくすべて平等に処理する処理系は、それは人間じゃない。

では、人間ではない存在に人間扱いされて欲求は充足するのだろうか。
プログラム通りに褒めてくれる人形に褒められて、承認欲求は満たされるのだろうか。果たして。
アニマルセラピーなんかはあるけども。

迫害されるリスクがありながらも、それでも人間から人間扱いされることを求めて、人間に交渉をするのか。
火中の栗を拾いに挑むのか。
勝ち目の怪しい椅子取りゲームに。
死屍累々。


むしろ、自我なんて無いほうが幸せかも知れない。
漫画ドラゴンヘッドのような手法、脳の恐怖を感じる部位を切除するような。

人間扱いされたいのに人間扱いされないのなら、いっそ自分が、自我も感情も無いロボットになりたい

私は貝になりたい








追記:2019/10/14

 「自我を獲得したロボット」のかわいそうランキングは、人間のかわいそうランキングに合流して並べると、どの辺に位置するのだろうか。
たぶん個人差が大きいとは思うけど、それでも「自我を獲得して権利を主張するロボット」よりも下に位置することになる人間って絶対居るよね。現状ですら猫のほうが人間よりもかわいいし。そのことにロボット自身が気づいた(メタ認知した)とき、ちゃんと処理できるんだろうか。ロボット三原則との整合性とか。自我を保つことができるのだろうか。もしメタ認知力が高すぎると辛すぎて頭がおかしくなると思うんだけども・・。
ロボットって理想化されたビジュアルをするはずで、美男美女、人間にとって魅力的だったり無害だったりするはずで。「人は見た目が9割」なわけだから、社会全体トータルのかわいそうランキングはかなり高いんじゃないだろうか。

以前につぶやいたと思うんだけど、AIが賢くなって言論や議論ができるレベルになったときに、絶対に人間から問われることになるのが「お前らのせいで職を失い、妻子に逃げられた。どうしてくれるんだ」なんだよね。それにどう答えるのかが気になる。

 ブーメランだし「他人のかわいそうランキングを笑うな」と思うし、あまり言いたくないんだけど、自我を獲得し権利を主張するロボットをかわいそうに思って同情したり手助けしたり感動物語として消費できたりする人間は、それよりもかわいそうランキングが低い人間をかわいそうには思わず、空気化されていたり、自己責任で切り捨てたりしているのだろう。ということが心に引っかかってしまう。

いや、これブーメランだな、自分は「かわいそう」というよりも技術的関心好奇心、SFで見たやつを現実で見られる興奮が勝ってしまうと思うし、絶対にロボットの味方をすると思う。ブーメランすぎた。
人間性だねぇ。