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雑文(52)「エレクトリカルパレード」

「充電させてもらえませんか?」
 電欠を起こしてしまいそうなんですと、いまにも止まってしまいそうな私を哀れに思ったのか、会社員の女は私を路地裏に誘導すると衣服を捲って自らの電源コンセントを露出させ、恥ずかしげもなく私に差し出した。
「すみません」と、私は謝りながら自らのプラグを露出させ、コードを延長してプラグを女の電源コンセントに差し込んだ。
 電力が供給され、ふっと安堵の溜め息が思わずもれた。電欠間近だった私はみるみる生気を取り戻し、暗闇に支配された視界は嘘のように晴れていく。
 充電不足だった。寝る前にプラグを寝室備え付けの電源タップに差し込んだはずだが、おそらくコンセントの根元から断線していたか、あるいは電気会社の電力供給が一時不安定になったか、正しくは私の過失ではないが自宅から出るときに自らの電力メーターを確認しなかった落ち度はある。
「よろしいですか」と、女の当惑した声がした。
 慌てて私は自身の電力メーターを確認すると女に、「満タンです。助かりました」と頭を下げてお礼を述べ、私のプラグを女のコンセントから抜き、衣服の中にしまうと二度頭を下げてお礼を述べた。
「いえいえ」女は手を左右に振って、申し訳なさそうに畏まる。「当然のことをしたまでです

「最近はその当然なことができない人が多い。あなたは偉いですよ」
「いえいえ」と、女はまた手を左右に振って、自身の善意を否定する。
「きっと、こういった当然なことができなくなったら社会は回らなくなり、やがて人類は滅亡してしまうんじゃないかって、私は思うんですよ」
「大げさな」さすがに女は私の破滅思想に引いているようで、身体を少し後ろに退いた。表情筋もわずかに引き攣り、ぴくぴくさせ、瞳の奥では不審者を見るような疑いの色が薄ら現れた。
「失礼しました。あくまで私個人のいち感想ですので、お忘れください」慌てて私は言葉を撤回し、せっかく充電した電力をいささか消費した。
「それでは」薄ら笑いを浮かべながら逃げるように路地裏から去った女の後ろ姿をしばらく眺めると私はゆっくり路地裏から出た。ちょうど真上に昇った太陽の光に照らされた私は手のひらを伸ばし、掴む仕草を何度かくり返す。それに飽きたら私は姿勢を正し、ランチどきの大通りの混み合いに合流し、人の群れに流される。
 それは大河のようでいち個人が逆らえるようなたとえば小川のようなせせらぎではなく、抗えずに流されるしか許さない大きな流れであった。人間の体内で流れる電気が一方通行だと決まっている厳密さのようにそれは確固たる法則だった。
「どうにでもなれ」と、思わず私の口をついて出た言葉だが、そんな言葉は大衆の誰にも響かず、雑音のように流れの中に消えた。

 原子力発電所で事故があったらしい。
 それも大規模な事故で復旧にはけっこうな時間がかかるという。
「人のすることだから」と、自宅ソファに座る私はリモコンでテレビの電源を消し、天井を見上げて目を瞑った。
 それから立て続けに事故が重なり、事態の収拾がつかず電力は永遠に失われた。
 ジャケットを羽織って久しぶりに街に出ることにした。自宅にいて孤独死を待つ孤独に耐えられなかったのだ。
 街に着くと街は活気を失い、以前の活気は嘘のように消えていた。
 歩き回る。路上の端には野垂れ死んだんだろう、項垂れた死体が所狭しと並んでおり、一様に電力を失い、中には錆びて朽ちかけた死体もあった。
「私だってじきにああなる」寂しさからつい独りごちる。
 歩き疲れて彼らと同じく空いたスペースを発見するとそこに腰掛けた。座ってみると世界がえらく低く見えた。いや、空を見上げると世界がえらく広く見えた。
 電力メーターをちらっと見ると、残量は1%を切り、じきに同じ運命を辿るのが明白だ。
 ふと隣を見ると、こんな偶然あるんだなと、私は元気なく驚いた。
 いつかの快く充電に応じてくれたあの会社員の女だった。皆と同じように項垂れ、完全に停止していた。視線から彼女が最後なにを見ていたのかはわからないが、彼女の足元、それは彼女の爪先だろうか、そこから芽吹きたての若葉が生えており、彼女に宿っていた。
 周囲を見渡せば、他の連中にも同じく瑞々しい若い葉がまばらに宿っており、都市緑化計画の一環のようにそれに賛同するようにまるで手作りのブローチのように誇らしげに陽光を受けて輝いていた。
「私もああなるのか」寂しさからまた独り言になる。
 次第に思考にブロックがかかり、生命維持装置に優先に電力が供給されるようになると私はもはや死んだも同然だった。
 空を見上げた。
 そこで視界が完全に真っ暗になった。自らの電源コンセントを露出させ、快く充電に応じてくれた彼女のプラグを引っ張り出し、少しでも借りた電気を返そうかと意識を失う前に考えたが、もはや手遅れだった。せめてもの、借りたものは返すという当然のことをしようとしたが、人間のさがなのか、人のすることだからか、そうそううまくいかなかった。
 というか、私はなぜ思考できているのか。思考できている思考を思考する私に当惑するほかない。
 それは光だった。

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