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雑文(08)「たんぽぽの綿帽子」

 たんぽぽの綿帽子だろう。
 河川敷きで、たんぽぽの綿帽子をたくさん見かける季節だから、穏やかな春の風に乗って、綿毛は遠くへ遠くへたんぽぽの種を運んで、不時着したそこでたんぽぽは芽吹くだろう。
 自転車のペダルを漕ぐと、たんぽぽの綿帽子が麗らかに、わたしに向かって来て、それがたんぽぽの綿帽子だろう、と、気づくとわたしは、ほっこりした。
 ハンドルを右に切って、ト字路を右に曲がると、なだらかな上り坂だったから、サドルから腰を浮かせ、わたしは立ち漕ぎの恰好で、ペダルを漕いだ。
 たんぽぽの綿帽子にまた襲われた。綿毛に種子を付けて、どこか遠くへ飛んでいくんだろう。
 わたしの前を、同じく自転車に乗って、わたしと違って電動自転車だろう、電動自転車に乗るちょっと肥満ぎみの上下黒のスウェット姿、チェリーレッド色の長い髪の毛を後ろで結んだ、四十代前半だろうか、わたしの先を行って、電動にかまけてペダルをゆったり漕いでいた。
 左手でグリップを握っていたが、右手はグリップを握らず、代わりに右手の人差し指を右の耳の穴の中に突っ込んで、中で軽く回すと抜き出し、親指の腹と人差し指の先を何度か擦ると、人差し指を右の耳の穴の中に突っ込み、中で軽く回すのだ。
 たんぽぽの綿帽子が、春の陽気に乗って、わたしに向かって、飛んで来る。飛んで来た、たんぽぽの種が付いた綿毛は、汗ばんだ肌に、けっこう付いちゃってるかもしれないけど、自転車運転中だから後で、付いちゃった綿毛を取り除いて、これもなにかの縁だからお家のプランターの土の中にたんぽぽの種を埋めてあげよう。
 たんぽぽの綿帽子だろう。
 わたしは汗ばんだ両手でグリップを握って、たんぽぽの綿帽子がたくさん飛来する中を、立ち漕ぎでペダルを漕いで、くだんの、相変わらず耳の穴をほじくる女性の後に続いて、息をぜえぜえ切らし、たまにそれが口の中に侵入したざらりとした舌触りに冷や汗を掻き、たんぽぽの綿帽子だろう、わたしはそう思って、重たいペダルを漕ぐしかなかった。

   おわり

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