見出し画像

【編集後記】函館地域承継ストーリー#2

この記事は、​函館圏の事業承継例を紹介する「函館地域承継ストーリー​継ぐ人、継がせる人」の編集後記です。以下の記事についてお話します。

電話が鳴ったのは、午前の取材をしているころだった。

取材後の予定は、函館の老舗建設会社「株式会社森川組」のインタビューだ。インタビュイーは、常務取締役 森川 明紀(あきのり)さん。実は、私の小中高の幼馴染である。

午前は晴天だった函館だが、午後に向かって曇り空。いつだったか函館は、曇り空が多いから、出身の有名バンドの名前が「GRAY」になったと聞いたことがある。(まゆつばだが)

取材を終え、カメラマンとともに移動しているさなか、先ほどの電話を確認する。相手は森川さんだ。

「まさか、急遽取材に対応できなくなったという話では…」。不安が脳裏をかすめた。相手は函館を代表する企業の常務だ。スケジュールも何回か変更になっていた。多忙なのである。

おそるおそる電話をすると、明るい声が響く。「よかったらお昼一緒に食べない?海鮮丼食おうよ。」拍子抜けである。普段、東京にいる私の帰函ということで、最近できた海鮮丼を食べさせたかったらしい。

そもそも彼はとても面倒見がよい。私がこの「いさり灯」を始めたときも「何か協力できることあれば」とすぐ電話をくれた。普段から連絡をとっていたわけではない。話したのは10年以上ぶりだ。

函館人の気質におせっかいというのがある。まさに生粋の函館人だ。

函館にいると「最後は人間関係」という話を聞くことが多い。函館人にとって付き合う人間というのは、一生であり、いさり灯でもたびたび昔のご縁に助けられてきた。

彼とのやりとりは、10年のブランクを感じさせない阿吽の呼吸で、同席したカメラマンをおおいに楽しませたらしい。今でも森川さんの名前を出すと楽しそうに取材の話をしてくれる。

森川組のインタビュー後、社屋を出ると少し雨もちらついていた。

空を見て思う。幼馴染・曇り空・おせっかい。おおいに函館を感じたなぁと。

取材・執筆担当 豊島翔

多忙の中、取材を受けてくれた森川 明紀さんと写真撮影・原稿確認にお付き合いいただいた株式会社森川組の皆さんに謝意を表します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?