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67 愚直さを残したまま

虚無感と仲良く同居しています、どうもisaoです。最近やっと自分のことを浮き沈みの激しい性格だと自覚して、何もないと感じる時とすべてがあると感じる時と、その差をうまくコントロールしようと自己分析をしながら日々を過ごしています。

他人のことや世界のこともわからないけれど、自分のことも同じくらいわからないんだなと思います。この間あるドキュメンタリー動画で「地球の99%はまだ未知のまま」という言葉を耳にしました。それに似ています。

深海を探索したり、月にロケットを飛ばしたり、宇宙の広さを計ってみたり、好奇心の矛先をいろんな方向へ飛ばして、すこしずつ知識の輪を広げて行きます。僕も、社会のことや他人の心理を考えてみたり、でも実は自分のことを知ることが一番の近道なんじゃないかと思ったり……

まあ、そんなことはさておき、僕は中学生くらいの頃に虚無感と出会って、それ以来ずっと心の中で同居しているんですけど、冬になって寒くなったり、人と会わなくなったり、良い作品に刺激されたりということがなくなると、ひょこっとその虚無感が顔を出します。

ああ、また君かあ、という感じで慣れたもんなんですが、いったん虚無感が現れるとたちまち何もやる気が出なくなってしまって、というか何にも意味を感じなくなってしまって、頭ばっかりぐるぐる回って体は寝伏したままという状態になります。

そういうのを運命のせいとか先天的なもののせいにし始めちゃうと本当に救いがたくなってしまうのですが、僕は同居が長いせいで少しずつ冷静に対処できるようなってきました。すべてには原因があると。あったかいお風呂に入れ、人と喋れ、好きな映画でも観れ!と。

すべてに意味を感じなくなると好みという感覚も薄まります。だから、最近の推し文化って結構健康的だなって思う。僕もたまたま最近サッカークラブのバルセロナを応援をしたり、ちびまる子ちゃんグッズを買ったりしはじめたんだけど、何かを応援するっていうのは「意味合い」を感じるのにかなり良い。パワーの交換をしている感じ。なので推し文化推し。

それで、わりと元気な今言えるのは、頭で考えて結論を出そうとすると、結局それは自分が自分に影響を与えようとしているだけなので、回らない永久機関みたいな、欠陥が出る。その頭であれこれやろうとしても「あれは好きじゃないから」「あれは誰かがやってるから」とか言い出してもう何もやることがなくなる。

逆に言い換えると、やるべきことなんてそもそもほとんどない。雨風しのぎご飯を食べて長生きしていれば良いんだ。特別な何かを、それこそ自尊心のために偉業をやってのけようみたいな気持ちがあると、そればっかりが先行して身が持たない。

夢中になれるものに素直になりたい。し、夢中になれるものに常にアンテナを張っておきたい。刺激を、パワーをもらって、元気玉作って、光合成して。そうやって生きていかないと僕は無理だ。みんながどんな風に生きているのかわからないけど。

自家発電じゃもう無理な歳、ということなのかもしれない。いや、若いころはそもそも巡り廻っているパワーに気づかなかっただけで、人間とは本来そういうものなのかもしれない。33歳、愚直さ、頑張る。

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