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39「カバーとかやりたくないねん」

Youtubeでカバー曲をたくさん(週一くらいで計40、50本)上げていた時期がありました。自分のことを知って欲しいし、好きになってもらいたいからなんだけど、でも、ある時から自分の中に意地のような言葉が度々浮かぶようになりました。

「カバーだけは絶対やりたくない」

誤解を招くといけないので先に言いますが、カバーをやっている人を否定しているわけではないし、自分がその曲を本当に好きでやっているなら良いんです。実際僕も、自分が本当に好きな曲はカバーとしてYoutubeに上げています。

ただ、カバーをやって、好きになってもらえるのはあくまで「カバーをやっている自分」であって、そこでオリジナルを突然やっても見向きもされないことがほとんどです。僕は、オリジナルを好きになってもらって初めて人様に認めてもらったような気持ちになるし、そもそもオリジナル創作が大好きです。

なので、そんな僕の気持ちからすると、カバー曲を何本も何本も上げるのは明かに方針が違う。

たとえば、僕の家にオリジナル作品がごろごろあって、その家の「入口」としてカバーがあるという状態が良い。入口ばかりボコボコ作って、入ってみたら何もないっていうのは僕的には最悪。入口は極論1個でええねん(謎の関西弁)。

時間の配分的にもよろしくない。カバー動画をたくさん作ることに時間を注いで、オリジナルを磨く時間を疎かにしたら、それは僕が僕でなくなる行為だ。脱・アーティスト。至・カバー職人。

だから、僕は意地のように思っている。カバーはやりたくない。正確にいうと、カバーを自分の基本行動にしたくない。「オリジナルと社会の接点のため」にカバーが存在するという状態を目指したい。

どんな作品でもそうだと思いますが、自分のオリジナルと、大衆的な何か(カバー)のバランスはきちんとコントロールしたい。人に喜んでらうということも大切だけど、そればっかりで根本の「自分」を疎かにしたらあかんよね。

参考までに実際の数字を出すと……Youtubeに上げた僕のオリジナル曲の再生回数は、1本あたり数百回くらいですが、流行りのカバー曲は2、3万まで再生回数が上がります。まさに桁違い。

でもね、自分のオリジナル曲に「いい曲ですね」とコメントがあると、たった一言だったとしてもそれは飛び上がるほどに嬉しいんですよ。ありのままの自分が社会に認められたような気持ちです。こんなに嬉しいことはありません。そういう人たちのために頑張ろうと思えるんです。そういう人たちにまた出会うために、またオリジナルの自分が誰かを喜ばせられる瞬間のために。

この気持ちが、ここ1年ずっと変わらなかったので書いてみました。くどいようですが、あくまで僕の場合なのでご理解ください。カバーを否定するというより、自分がオリジナルなアーティストであり続けるために、カバーの立ち位置をきちんと扱いたいという主旨です。

オリジナリティあふれる世界。わくわくです。

気に入ってくださいましたら、ぜひお気持ちを!