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54 生きてるフリ

どんよりとして、浮かない日々の正体は、プチ虚無感でした。

何も手につかない昼下がりに、悩み疲れた夜の終わりに、嫌々起きた朝のシャワーの時間に。なんだかすべてが面倒臭くなって、「何をしてるんだろうなあ」と、今自分がこの世界に存在していることが不確かに感じる瞬間がある。虚無感といったら大袈裟だけど、右でも左でもない、なんだかわからない気持ち。

忙しいというのは良いなあ。忙し過ぎるとそれはそれで愚痴を言いたくなるけれど、余計なことを考える余地のないまま、日々が過ぎていって、ああ、楽しいなあ、と、あっという間に時間が過ぎて。でも、もったいない気もして、やっぱり一度立ち止まりたくなる。まったくわがままなものです。

もしストレスを減らすことが出来て、周りに恵まれて、いわゆる幸せな状態になったら、僕は虚無感とはおさらば出来るものと思っていたけれど、それは間違いだったようだ。

辛くて辿り着く虚無感があり、恵まれているのに感じてしまう虚無感もある。

左に不幸、右に幸。その間を中点にして、上に意義、下に虚無。そんなグラフが頭に出来上がった。僕は右へ右へ、つまり幸せへと頑張って進んで来たけれど、いつも上のことを、つまり意義、生きる意義のことを忘れてしまう。

生きる意義というのは、自分で設定しない限りあり得ない。設定しないまま生きるということは、何も書いていない真っ白な問題用紙(と呼ばれているもの)にただ向かい合うということだ。そこに問いがなければ答えもない。だけど、それに気づかず、問題用紙を睨みつけたまま時間を過ごしてしまう。

やがて答えの出ない状態に嫌気がさして、さんざ落ち込んだ後に、やっとようやく思い出す。「……ああ、自分で問題を用意する所から始めなければいけないんだ」と。不思議なことに、そう思えた瞬間にふっと心が軽くなる。意義を感じるということが、僕の人生にとっては重要だ。

僕は、ただ消費されて捨てられる乾電池ではない。何も感じないまま川面を流れる木の葉でもない。「自分の一生をどうしたいか」と問えることが人間の素晴らしい所だ。そんな風にいつもありたい。うまく言えないけれど、生きてるフリはやめたいんだ。それがどんなに難しいことと、わかっていても。

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ただずっと書いていたくて広げたノート。

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