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64 「自分は凡人である」という自らの気づきによって自分は凡人になる。

年末だからということで、仕事でお世話になっている人と食事をするために表参道に久しぶりに行った。

前に表参道で働いてたことがあって、その頃は結構頻繁に行っていたのだけど、その仕事を辞めてから、そして今年のはじめに東京から横浜に引っ越して来てから、まったくと言っていいほど行かなくなった。というか一度も行っていないような気がする。

それで久しぶりに表参道の駅に降り立って見たらなんだか空間が広く感じて、これは何がそうさせるんだろう思った。見回してみると、交差点の角にあったビルが一つなくなっていたりはしていたけど、いつも通っていた道沿いの店なんかは同じように見えた。そういえば、初めて渋谷のスクランブル交差点を見た時は、交差点全体がすごく大きく感じたけれど、東京に越して来て何度か渡っているうちに見慣れたものになって、次第に空間的な広がりも縮こまったように感じた。今回はその逆で、親しみが遠のいたせいで(表現があってるかどうかわからないけれど)、僕の中での表参道の空間が広がってしまったのかもしれない。

そんな話はさておき本題。表参道の駅からちょっと歩くと青山ブックセンターという大きな本屋さんがあって、働いてた頃はよくここに来ていた。著名人とかのサインが店内に飾られていたりする結構有名(?)な本屋さん。

せっかくだからと思って行ってみた。店内に入ってまず感じたのは、本屋さんに対する僕の感覚が前と変わっていたことだった。前は本屋さんが大好きで、事あるごとに(体感週三くらい)行っていたのだけど、最近はめっきり行かなくなっていたので、なんだか初めての場所に踏み入れるような感覚だった。そして、入ってすぐの平置きされている本達に対しても「わ、なんだこれ、あ、本か、はじめまして」みたいな接し方。

かつてそうだったように、イチオシされている本のタイトルをざっと見やって、ゆっくり奥の方に進む。ジャンルは気にせず、異国の商店街を歩くような気持ちで、行き当たりばったりに本の表紙を眺めて、気になったものをパラっとめくって、少し読んでまた次に進む、ということを繰り返していた。

そうしているうちに前の感覚が蘇ってくる。思えば本屋さんに行くというのはとても「意識の高いこと」なんだなあと、初めて本屋に行く人のことを客観視した気がした。

今年はだいぶのんびり過ごしてしまって(仕事はもちろんしていたので、のんびりというのは意識の張り詰め具合のこと)、本屋さんに行くという考えも、初めての土地に移り住んだのも相まってすっかり発想から消えてしまっていた。

あれこれと本を覗いた結果、最終的に数ページ立ち読みすることになった落合陽一さんの「半歩先を読む思考法」という本を買うことにした。一応言っておきたいので言っておくと、タイトルはいかにも意識高い系に見えるけど、これは落合さん本人も「釣りの表紙」と言っていて、僕はそれを知っていたので、僕的にはタイトルの内容が気になってというより「落合さんの本」という認識で選びました。半歩先を読みたいという願望は今の僕にはない(笑)。

落合さんは僕の中で憧れの存在というか、モチベーションを与えてくれる人、刺激をくれる人という感じで。実際に落合さんが普段やってらっしゃることは、僕には到底わからないような専門的なことなんだけど、ネット番組でずっと落合さんを観ていて、その発言にハッとさせられるというか、そうそうこんな感じって思えるような気持ちよさを感じる人。多分、アーティストであり研究者である(他にもいろいろやってらっしゃるが)という所で妙にささる所がある。わかりやすい説明でストンと腑に落ちるというのでもないし、何をどう捉えたら良いのかてんでわからない現代アートというのでもない、その中間。わかるんだけどわからない、いや、わかりそうでわからない感じがいいのかもしれない。その余白というか、先に続きがある感じが。

僕はその本を買って、家に帰って来て久しぶりに読書をした。しっくり来る部分と、ちょっと先を行くような、映画の予告編みないな期待感を残す表現とを楽しく読んでいたら、体がアップデートされるような気持ちがした。洗われて、さあもう一周行ってみましょうと背中を押されるような感じ。本(これは全ての本に言えることだけど)を読むことの良さはこういう所にあると思う。良い本は背中を押してくれる。

ということで、やっとこの記事のタイトルに触れられるんだけども、落合さんの本を読んで、いろいろ学び、気づき、新たな問いが生まれ、思いついたりしてるうちに、こういう感覚で普段からいなくてはなあ、と思った。

本の中に「思い込む力」ということが書いてあるんだけど、まさに今の僕にはそれが足りないなと思った。いろんな点で思い込む力は必要だと思うんだけど、なによりも、自分に対して自分がどんな人間であるかを理想的に思い込む。自分が「ただの人」、もっと言えば「凡人」であると、なんとなく思ってしまうような生活を続けていると、「ああ、自分は凡人だ」と思うようになってくる。思うともなく思うようになる。そして、それはやがて気づきになる。その時の気づきというのは「確定」に近い。気づくことによって確定されてしまう。

でも、思い込む力。実際の自分の評価云々じゃなく、自分のために、理想的に自分を思い込む。そんなことが今の僕には必要なんじゃないか。そんなことを夜更けに思ったので、落合さんの真似をして、"自分と雑談"をするような気持ちで文章を書きました。深夜二時ちょうど。

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