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類縁関係から自然と世界を考え直す。

久しぶりに書きました。大学の講義を受講している中で出会った”Kincentric Worldview” (類縁関係を中心とした世界観)と言う言葉にとても強く共鳴をしたのでその心象を書き表わしたいと思います。

すべての存在は関係性の網でつながっており、世界はシステムの参加者ではなく、システムの関係性そのものを中心として動いている。Kincentricと言う言葉はそう考えるきっかけを与えてくれました。以前Noteで3つの世界観(人間中心(Anthropocentric)・生物中心(Ecocentric)・地球中心(Earth-centered))を紹介したことがありました。

人間中心で自然も全て好きなようにコントロールして良いと言う人間中心主義。生物中心で生物多様性や生き物を守るためならば人間は究極的にはいなくなるべきだと言う考えにも繋がりうる、Ecocentrism。地球というシステム自体の存続を中心に置いて、人間も生き物や自然もどちらも持続可能な生き方や関係性を築くことが可能なのではないかという地球中心の世界観。僕は最後の地球中心の世界観という考えに近いと思っていました。結局人間か自然か、どちらかが重要視されるべきだという考え方では、生き物の命が軽視されてきたことによって起きている環境危機の根本の問題は解決されない。つまり、地球のシステムが持続的に回ることを中心に考えることで、人間は自然や多くの生物に依存していることを自覚し、生物多様性を尊重しながら生きることができる。それが気候変動などの環境危機から抜け出すための手がかりになると私は考えています。人間中心主義から地球を中心とした世界観に脱却することは、それ自体が人間としての生き残りのために必要ではないかと。

ただ授業の中で、”Kincentric”(類縁関係中心)の世界観を考えてみると言われた時に、より納得が言ったのです。ネイティブアメリカンは全ての生き物や自然の中にある植物などの存在を、Kin(類縁・親戚)のような存在として捉える文化を多く持っています。人間・生物・自然という分断ではなく、全ての存在が親しみや愛しさを持ち、親戚のように繋がっている。そう考えることは新しい自然との関係性を考えることを可能にすると思いっています。

特にアメリカ原住民出身で生物学者のRobin Wall Kimmererが書いた”Braiding Sweetgrass (邦題:植物と叡智の守り人)”の一節を読んだ際に衝撃を受けました。

”The Three Sisters(3人姉妹)”という章では、原住民の農業で「とうもろこし・マメ・バターナッツかぼちゃ」のタネを一緒に植える取り組みが紹介されていました。原住民族のコミュニティに伝わる話では、昔食料が限られていた冬場に村に3人の美しい姉妹が訪れたと言います。雪の中、泊まる場所を求めた女性たちに村人はわずか残された食料を分け与えました。姉妹はお礼として、彼女たちの本当の正体(とうもろこし・マメ・バターナッツかぼちゃ)を明かし、村の人々が今後飢えることがないように3つ1組のタネを贈り物として贈ったと言います。

実際に3つの植物は植えられると、最初に「長女」であるトウモロコシが発芽し高く伸びて生えるそうです。「次女」のマメはトウモロコシの高い茎に絡まりながら日が当たる隙間を求めて成長します。「三女」のバターナッツかぼちゃ(Squash)はユニークな道を行き、地面に沿って大きく葉っぱを広げて植わります。生物学者のKimmererはこの混作をすることは、科学的に見てもとても理にかなっていると言います。トウモロコシが高く成長しそこに伝うことで、マメは地面にいる虫から食べられることがなく育つことができる。バターナッツかぼちゃが地面を覆うように茂ることで、雑草の侵入を防ぐ上に根を広げることで土壌をしっかりと固定し豊かな土が流されることを防いでいます。マメは根に窒素固定細菌を持っており、全ての植物の生育に不可欠な栄養分となる窒素を作り出します。この関係性からもわかる通りに3つの植物は一緒に植えられることによって、特別な関係性が生まれ、一つ一つではなし得ない大きな贈り物を人間に与えてくれます。

「豆は一本のつるにすぎず、カボチャは大きな葉っぱにすぎません。トウモロコシと一緒になって初めて、個人を超えた全体像が現れる。それぞれの才能は、一人で育てるよりも一緒に育てた方がより発揮される。熟した穂や膨らんだフリュイの中で、彼らは私たちに、すべての贈り物は関係性の中で増やされることを教えてくれる」(Kimmerer 140)。

この話が象徴しているのは、それぞれの存在よりも「どのような関係性を持つか」がとても重要になるということです。トウモロコシや大豆などの存在も、単体ではモノカルチャー農業を通して問題にもなりうることもあれば、3姉妹のように土地を癒し恵みを与える解決策にもなりうる。人間と他の生き物の関係性もそうだと考えています。自然界では、人間は動植物や微生物との相互関係を破壊し、農薬や肥料を開発して、土壌全体の機能を維持するために不可欠な種や異なる生物間のつながりの網を完全に断ち切ってしまいました。類縁関係とは、人間か自然かという二元論に陥ってしまう現在から、公平で「優しい」つながりを生み出せることができる言葉です。(実際に英語で優しいという形容詞であるKindは「Kin(類縁)に対しての感情」が語源になっているそうです。)

Kinship(類縁関係)のもとでは、自然と非自然の区別がなくなり、人間がつけたラベリングやヒエラルキーは剥がれ落ちて、異なる存在が共在する平等なプラットフォームが生まれます。今の人間の役割は、他の生物をコントロールしようとするのではなく、すべての親族・類縁である生き物が活発になるような環境を作ることだと思います。例えば、土作りを管理的に行うのではなく、土から学び、土の住人がアクティブになれる環境を整えることが挙げられます。関係性を断ち切るのではなく、より多くのウイルスや微生物の間で関係性がさらに生まれるような解決策をデザインする。

人間か、自然か、ではなくどう繋がるか。類縁関係をベースにした世界を考え直すことができるのではないかと思います。思想家の山尾三省は「アニミズムという希望」のなかで、原住民族が”I Love You”の代わりに”I kin ye”という言葉を使うと指摘しています。「私はあなたを愛している」という代わりに、「私はあなたに属している。あなたの同類だよ。」と愛を持って挨拶する。

アイキンイー。

全ての人、全ての動物、全ての存在を親しみを持った同族として捉える社会は、何かすごく温かみを感じる社会な気がする。


それではまた。

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