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2021.10.4 春と修羅

”わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い証明です”
        春と修羅 序 宮澤賢治

晩夏のような仲秋の日。
早朝は寒い。
昨晩準備したTシャツの上にフリースを着てもまだ肌寒い感じがした。夜は明けていない。
始発の電車に乗り、携帯電話をチェックする。リュックに携えた缶コーヒーを飲み、電車の窓から差し込む朝焼けに心を奪われる。
二度の乗り換えを終え、あとはただ電車に乗っているだけ。
長谷川恒男の『岩壁よおはよう』を読んでいる。

通り過ぎた駅のホーム、蛍光灯が明滅している。ゴルフバックを持った老人が窓の外を眺めていた。到着駅に近づくにつれ、制服を着た高校生が増えてくる。
平日の朝。とてもよく晴れた日。ゴルフバックを持った老人と同じ駅で降りる。東飯能駅。クラッシュパッドを背負う中年とゴルフバックを引きずる老人が並んで改札を抜ける。
待ち合わせをしていた友人と合流する。
三峰ボルダーへ。
岩質は御岳と同じだっけ、と問うと
チャートと緑色片岩だったかな、ちょっとだけ違う、と運転する友人は答える。

遥か彼方の過去。
ペルム紀からジュラ紀の集積の塊。(あるいは修羅の十億年か)気圏のいちばん上層、きらびやかな氷窒素のあたりから、すてきなラインを発掘したり、透明な人類の動作を発見するかもしれない。
空は山間の陰りさえも払拭するように明るくなった。青く透明な空間が宇宙まで続く。そのわきで、車を停めた。
荒川の賭場口。
急な坂を下る。獣道のようなアプローチ。
陽射しが強くさしていたが、木陰に入ると寒かった。半袖短パンの友人は、上着を持ってくればよかった、と言った。

一輪車、涼しいマントル、春と修羅、が目的だった。
シルクハット岩のわきに荷物を置き、各々が準備をする。山の陰、岩の陰に隠れた太陽の日差し。ひかりの澱。
 クライミングシューズとマットを取り出し、ウォーミングアップへ向かう。グレードが優しくなったというペタシと上級者への登竜門にとりつく。スラブ面。エッジングの少ない面にフリクションをかける。重力を岩へかける。十億年もの記憶の表面に、沖積世の次の時代、人新世になりかけたステルスC4の技術を試すように。まるで浮かぶように岩の表面に体が持ち上がる。トップアウト。調子がいい。

 シルクハット岩に戻るころには日が高くなっていた。夏が戻ってきた。忘れ物を取りに戻って来たみたいに。
一輪車、涼しいマントルを試みて、登れず。いよいよ春と修羅を試みる。

おれはひとりの修羅なのだ

スタートからの初手が止まらない。初手取りを1時間ほど繰り返す。ようやく初手が止まる。2手3手はたわいもない。核心部に入り、再びムーブはとまった。次の一手が出せない。抜け出せない。

”修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い気の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす”
 『春と修羅』 春と修羅 宮澤賢治

日が傾くと夏はどこかへ去っていった。
渓谷は秋の涼しさに満ちていた。
春と修羅が木陰にあったからかもしれない。
陰りの中に二人、首を垂れて次こそは、と決意している。

おれはひとりの修羅なのだ

最後にもう一度涼しいマントルを登りたい、と友人に伝える。
クライミングシューズをはいている途中、腹筋の上部が攣った。
木立の間から涼しい風が吹いてくる。
痛い、という私を見て、
終了だね、と友人は言った。
終了だね、と答えた。
俺は修羅になり損ねた。

【三峰ボルダー】
埼玉県秩父郡大滝村


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