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ゴールド 金と人間の文明史-59 アジアは金を貨幣として見ていなかった

アジアに貴金属が蓄積された理由として確かなことが一つある。

それは、アジア人は金を所有することに喜びを見出していたということだ。

細工がしやすく、摩滅せず、輝く美を備えた金に世界中の人々が魅了されたように、アジアの支配者たちも金が権力と怪しい美をもたらすと信じていた。


そのことを、マルコ・ポーロは「マルコ・ポーロ旅行記」で立証している。

マルコ・ポーロは中国に滞在中、モンゴル帝国の皇帝フビライ・ハーンに仕えた。マルコ・ポーロによるフビライの宮廷についての描写は息を呑ませるところがある。

カタイの首都にある宮廷は過去最大の規模で、「いたるところが金と絵画で飾られていた」。また、別の指導者については指一本分の厚さの金で埋め尽くされた宮廷の庭に塔が建てられていたが、それはすっかり金で覆われていたために全て金で出来ているかに見えたという。


アジア人がヨーロッパ人と金に対する見方が異なる点は、アジア人は金を貨幣として見ていなかったことだ。

ヨーロッパ人は金貨を最も威力のある、もっとも洗練されたかたちの貨幣と見なしていた。

しかし、この貨幣制度によって金は民主化され、ヨーロッパでは大衆のあいだにも金貨が広まった。


だが、アジアの支配者はヨーロッパの支配者と同様に金の美しさを崇め権力を誇示する手段だと考えたが、貨幣として使って下賤の者のあいだに金を流通させるようなことはしなかった。

金を非常に重視したために、金を民間に流通させ、地位ある者の権力を弱めよるようなことをしなかった。


そのために、中国では何世紀ものあいだ大半の貨幣があまり価値のない材料で作られていた。

中国は貴金属の硬貨をほとんど作らなかった -16世紀以降、少量の金貨が鋳造されたが、それらは主に儀式的な目的で利用された- が、1890年代になって銀貨の製造を始めた。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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