ゴールド 62 金の最も奇妙な特徴は、その希少性を失わないこと
なぜ、西洋の金、銀が東洋へ一方通行のかたちで流れていったのだろうか?
答えの一つはすでに述べたように、アジア人は金、銀を貨幣として認識していなかったからである。
アジア人は貴金属を他の何かと交換できるものとは思っていなかった。中国、インド、日本は貴金属を有用な必需品と見なしていたのだ。
つまり、貴金属は非常に利用価値のあるものだから支払いの手段として手放すよりも手元に残しておく方が良いと考えたのだ。
では、アジア人にとって金、銀の有用性とは何だったのだろう?
誰にとってもそうであるように、美しい光沢とそれが錆びずにいつまでも保たれることである。
金、銀の有用性のもう一つは、その希少性である。
アダム・スミスによれば、金持ちが金持ちらしく裕福に見えるには「他の誰も持てない決定的な富のシンボルを所有していなければならない。そういうものなら、彼らはもっと美しくて有用だがありふれているものよりもずっと高い値段で買おうとする」と。
金の最も奇妙な特徴は、希少性を失わないことである。金はほぼ高値を保ち続け、市場でのだぶつきなどとは縁がなかった。
金はいつまでも富の明らかなシンボルである。
その希少性ゆえに、金は富の貯蔵手段として神秘的な雰囲気を漂わせ、またそれによって権力のシンボルとしても輝きを放つ。
金が見せびらかしや貯蔵のために求められなかった時代は全くなかったのである。
それは、自然が地球上に金を不平等にばらまいたせいでもある。
金が働いてお金を稼いではくれない。
しかし、万一の場合に備えてある種の防衛手段 -金の貯蓄- を講じていれば、人は安心して眠ることが出来る。金の貯蓄は保険に加入しているのに似ている。
金が保険として有効なのは、誰もが金を採鉱の価値があるものとみなしている場合である。この不可欠な条件が満たされるには、金は希少なものだという合意が人々の間に成立している必要があるのだ。
西洋の金、銀が東洋へ一方通行のかたちで流れていった答えのもう一つはアジアにおける収入の分配である。
16世紀から17世紀にかけて、アジアの一人当たりの平均財産はヨーロッパとほぼ等しかった。アダム・スミスも中国は世界でも裕福で肥沃な国の一つだったと指摘している。
ところが、当時のアジアでは自分の望むがままに贅沢に暮らしていたのはほんの一握りの人々で、大多数の人間はヨーロッパで最も貧しい人をはるかに下回る劣悪な環境で暮らしていた。
平均値は数値のばらつきが大きい場合には全く参考にならないのである。
こうした状況で、金を贅沢に使った中国の貴族は自国の製品をヨーロッパへ輸出しても損にならないことが分かっていた。彼らは贅沢を贅沢とも思わずに好きなだけ浪費していたからである。
ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン
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