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ゴールド 金と人間の文明史-27 アニュス・デイ~神の子羊~

1300年代になると、ヨーロッパでは貿易や通商、アラブ人との知的な思想の交換などが盛んになった。同時に、アラブ人が医学、科学、数学、哲学などの分野に生み出した革新的な考え方や発明もヨーロッパ人は吸収していった。例えば、風車や羅針盤など。

さらに、アラブとの貿易、輸送ルートが新たに開けると、東方の国々の絹織物、ダマスク織、香辛料、レモン、美しいタペストリーなどを手に入れることが出来るようになった。

1271年にマルコポーロが東方の旅へ出発したのも、このような東洋文化の影響に刺激されたためだった。


一方、十字軍の遠征により財政には大きな負担がかけられた。

軍隊は宗教心や騎士としての誇りから参加した兵士よりも、冒険や金目当ての傭兵が多かった。捕虜の身代金はしばしば金で支払うことが要求された。占領地域では金が全ての通貨の基準となった。

しかし、十字軍が使った金の大半は聖地からのもの -コンスタンティノープルの皇帝がフランク族に支払った寄附金、キリスト教を追い払おうとしたアラブの有力者が金で支払った税、そして略奪品など- であったので、ヨーロッパはあまり金を輸入しなくても済んでいた。

これらの金もたちまち使い果たされた。


ヨーロッパではしだいに模造硬貨の割合が高まっていった。

1250年に、教皇インノケンティウスⅣ世は、模造硬貨 -正確には敵、ムハンマドを称える硬貨- を作ったことに憤慨し、とうとう関係者を破門した。

信仰よりも商売を重んじたキリスト教徒の諸侯は、イスラーム国で充分に通用する硬貨の発行を止めようとしなかったため、このような徹底した措置が必要だったのだ。

しかし、サンルイはインノケンティウスの措置だけでは満足しなかった。十字軍の遠征中に聖地にいたサンルイは、教皇の措置のうえに自分の措置を加えた。

彼は新しい硬貨 -アニュス・デイ(神の子羊)- を発行したのである。ここにはサンルイの宗教上の慎ましさとフランス人としての誇りが現れていた。

-キリストは征服し、キリストは統治し、キリストは命を下す-

フランス王が儀式のときに神を称える言葉である。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン 

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