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ゴールド 金と人間の文明史-46 田舎者の大泥棒、サー・フランシス・ドレーク

危難の待ち受ける海を渡って財宝を運ぶという厄介な仕事を遂行するのにスペイン政府は極めて精巧な措置を講じていた。

金銀を船積みしてカリブ海を出発した船はキューバ周辺で合流して艦隊を形成し、母港セビーリャへと長い航路にでる。

海路には海賊がうようよしていたため、艦隊には護衛として2隻から8隻の武装ガリオン船がついた。

嵐や海賊の襲撃を避けるために船がやむなくセビーリャ以外の港に入ったときにも、乗組員は上陸を禁じられ財宝を売って商売することは一切できなかった。


当時の海賊行為はイングランド、フランス、オランダ政府により政策の一環として堂々と公認されていた。

この三国は、スペインとポルトガルが占有権を主張していたアメリカ大陸に割り込む機会を狙っていたのである。それに、スペインは16世紀を通じて、たいていこのいずれかの国と交戦していた。


スペイン船にとって、絶えずつきまとった最大の脅威は、サー・フランシス・ドレークの存在だった。

ドレークはイベリア半島のカトリック国から金を略奪することを本業としていた。そして、ドレーク自身だけでなく、多額の戦利品がイングランド王室に入ってきた。

ドレークはスペイン人を憎悪していたが、スペイン人もドレークを憎悪し、ドレークを「田舎者の大泥棒」と決めつけていた。

このドレークはイングランド女王の命令でパナマに派遣された時に、赤痢にかかって命を落とし海に葬られた。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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