フーヴァー、ハリソンはデフレと倹約に反対だった ゴールド109
1929年のウォール街大暴落後、「デフレと倹約への掛け声」はさまざまに変化しながらも繰り返されることとなった。
一方、アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーは大恐慌から脱するには「貧苦を避け、人々の懐へ貨幣を入れてやる」という極めて少数の意見に賛同していた。
アメリカ大統領ハーバート・フーヴァー
フーヴァーはデフレと倹約に反対の考えであった。しかしながら、フーヴァーのそれへの努力は及び腰過ぎた。
さらに、フーヴァーは小さな政府 -たとえどんなに困っていても、人々は自らの問題を解決するために政府を当てにしてはならない- の考え方を捨てなかった。彼は、1931年のラジオ演説でもこの考え方を強調し、国民に注意を促した。
ニューヨーク連邦準備銀行総裁ジョージ・ハリソン
ジョージ・ハリソンはベンジャミン・ストロングの後継者である。彼もデフレと倹約に反対の立場だった。金融システムに流動性を注入するため、連邦準備銀行は公開市場で政府債券を買うべきであると提案した。
しかし、ワシントンの当局者や他の連邦準備銀行総裁によって、「インフレを誘発する」として政府債券を買うという措置を停止させられた。
いまやハリソンは、「金利を上げることが唯一の適切な政策である」という主流派に同調するしかなかった。
1931年の合衆国の卸売物価は1929年を24%も下回り、失業率は15%を超えた。さらに、連邦準備銀行が金利を上げたことで物価は10%下がり、失業率は25%に達した。
金塊の前で膝を折り続ける
デフレと倹約という引き締め政策は既知の規則 -過去の経験- によって要求されたものだ。
政治家、金融当局者、財界人、銀行家、たいていの学者たちは金塊の前で膝を折り続けていた。まるで、その輝く貯蔵物 -金塊- 意外に大事なものはないように。
金本位制の基本的な考え方が彼らを支配し、大恐慌をもたらしてしまったのだ。
金準備への決意が強まる
大恐慌がもたらされたことにより金本位制という伝統的な手法への信仰がさらに強まってしまった。
実際、各国で次々に輸出が縮小していくと、輸入を減らすために需要を抑える以外に打つ手は無いように思えた。そして、この手を打たないと他国へ金が流出するという恐ろしい結果が待っているのは確実だった。
金のおかげで、イギリス経済が1925年以降いかにデフレに苦しんだかという事例を誰もが知っていた。1930年代の激動を乗り切るにはイギリスが取った方針 -手に入るただ一つのロードマップに過ぎないが- に従うしかないように思えた。
世界中で失業率が上昇し、ドイツではアドルフ・ヒトラーが権力の座につくなど資本主義体制の根幹は激しく揺さぶられた。それにもかかわらず、何をおいても金準備を維持しようとの決意が強まっただけだった。既知の規則によって一つの安全な政策が明示されたのだ。
ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン
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